昨日、今日の会社の行き帰りで「日本の憑きもの」(吉田禎吾/中公新書)読了。昔の日本、特に田舎では、キツネ憑きや犬神憑きなどといって、得体の知れない魔物に憑依されて、暴れたり、奇行に及んだりという話があるが、この本は文化人類学者である著者が、日本の「憑き物」についてフィールドで調査した見聞をまとめたもの。もっとも文庫の初版は1972年で、この本は復刻版である。
特に興味深いのは、日本ではこういうキツネやイヌガミが、特定の家系に結びついていることで、前近代的な日本の農村に残っていた根強い差別感をそこに見ることができる。
著者の見聞によると、キツネやイヌガミに「憑かれた」人とは別に、その集落には必ず、イヌガミ持ち、キツネ持ちと呼ばれる家系が存在する。キツネやイヌガミはその家から来て回りに悪さをするのだと信じられていたのだそうだ。
この「イヌガミ持ち」、「キツネ持ち」と影で呼ばれる家系の人々は、結婚に際して集落の他の家族からは忌避される。これは、キツネやイヌガミがなぜか「血の筋」によって代々伝わって行くものと考えられたことを示している。興味深いのは、このような結婚差別の対象となった家系が貧乏でさげすまれた家族であったかというと、逆にそうではない例が多いことで、むしろ、村の指導者の家系、よそより裕福な家庭が「キツネ持ち」として影で差別の対象になることが多いのだという。
日本の農村で、他人よりちょっと裕福になったり、幸運に恵まれて金持ちになった家が、その財を共同体に還元しなかったり、そもそも回りから反感を買っていた家だったりした場合に、あの家には「キツネ」がついて金持ちになった、と妬まれたのがキツネ持ち差別の発祥ではないかとの話だ。いかにも前近代的な日本のムラ社会にはありそうな話だ。
さらに興味深い点は、この「キツネ持ち」の血は、女系で伝わってゆくとされている例が多いこと。これも、「嫁はしょせん余所者」、「悪い血を運んできたのは余所者の嫁」という「家」意識がこの差別を助長したことの例証だろう。
驚くのは、差別は村では決して公言されることはなく、「キツネ持ち」とされる家の本人ですら知らない場合もあるということ。ムラの中で、陰でひっそりと、「あそこの家は筋(スジ)が悪い」とささやかれる差別なのだそうで、この辺は、いかにも陰湿な日本の農村らしいやりかたである。
もっとも、この本の初版から25年。すでに初版当時でも、こういう迷信は滅びつつある時期であった。おそらく、現代の日本には、すでにこういう「憑き物」は残っていないのではないだろうか。もっとも、残ってなくてまったく結構なのであるが。
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