昨日の夜は、帰宅途中で買った、「喪失の国、日本」(M.K.シャルマ・山田和/文芸春秋)を一気に読了。インド・エリートビジネスマンの「日本体験記」と副題がついている。1992年から1年8ヶ月、仕事の関係で日本に滞在したインド人、M.K.シャルマが母国に帰ってから出版した体験記を日本語訳したもの。 生まれて初めて日本に来たインド人の数々の驚きは、いかに日本とインドが違うかというカルチャーショック談として、日本人が読むと、逆にインドの文化や暮らしを推察できる興味深い読み物になっている。 インドの100倍以上する物価。息苦しいほど清潔で、ピカピカの車が整然と走る街。スーパーに並べられた野菜が、まるでプラスチック製品のように光り輝いて大きさが揃っていることに驚き、女性がアルコールを口にすることに驚き、タクシーの運転手や料理人と客が気軽に会話することに驚き、流通する札がみんな新しく、誰もお釣りを真剣にかぞえないことに驚く。 著者の価値観にしみついた、抜きがたいカースト制度の影響が、あちこちで顔を出すのも興味深い。日本人の家に招かれて、クツを脱いだ後、足で揃えると、日本では手で揃えるのだと教えられる。しかし、彼は自分のクツを自分の手で揃えるのに大変な抵抗がある。自らのクツとはいえ、それは不浄だ。クツを揃えるのは、低いカーストの仕事である。 鍋料理で、みんなが自分のハシを鍋突っ込む時には、この日本人達のカーストは何だろうかと気になって楽しめない。カラオケに誘われても、進んで歌う気はしない。なぜなら、インドで、人前で歌や芸を披露するのは、低いカーストの人間か乞食風情のすることだから。 菜食主義とカーストの関係も興味深い。肉食をしないのは、バラモンなどの高いカーストの人間が主流だが、著者は日本にこれから来るインド人に、あまり自分の菜食主義について解説しないほうがよいと勧めている。「我々高いカーストの人間は、殺生を避けるため肉食はしないが、寛大な人間なので、君達低いカーストの連中が、別に何食っても気にしないよ」というインド人の本音が、うっかりすると日本人に悟られてしまうからなのだそうだ。まあ、保守本流のインド人にすれば、日本人なんてすべて、アンタッチャブルの1歩手前といったところであろうか。 そういえば、アメリカで仕事してた頃は、仕事の関係で何人もインド人と付き合いがあったが、まず例外なく菜食主義であった。やはり高等教育受けて海外で働いているインド人ってのは、高いカーストの人間が多いのだろうか。 しかし、あるプロジェクトで一緒だった、プライスウォーターハウスのコンサルタントであったインド人は、ボンベイ出身だが、アルコールも口にするし肉も食べるという、実にバチ当たりなインド人だったなあ。毎日、我々が通ってたラーメン屋にもずいぶんと興味を示して、連れて行ってくれとせがむような奴だったが、同じインド人でもえらく違うもんである。 本人の弁によると、「オレはカースト高いから何食ってもいいんだ」とのことであったが、この本読むと、どうも話が逆のような気がしてきた。まあ、インド人のカーストのことなんぞ、マヌの法典の昔から決まってるインド固有の文化であるから、余所者の日本人があれこれ言うのも大きなお世話って気もするのだが。もっとも、あんまり感心できない話ではある。 |