「決定版 私の田中角栄日記」(佐藤昭子/新潮文庫)を読んだ。著者の佐藤昭(のちに改名して昭子)は、「越山会の女王」と呼ばれた、元総理大臣、田中角栄の愛人兼秘書の親玉である。 17歳の時、選挙に出馬したばかりの角栄と出会った佐藤昭は、他の男と結婚するも破綻。偶然、角栄に再会して、事務所で秘書となり、やがて角栄の事務所を切りまわす責任者となってゆく。 この本は、田中角栄と共に歩んだ佐藤の自伝。あからさまなことはあんまり書いてないが、佐藤は角栄の愛人であると共に、後援会事務所の総責任者であり、なにかにつけ角栄が弱気になった時に相談を持ちかける、たったひとりのやすらぎとも言える女性であったことが読み取れる。 誰にでも気を遣って、実は小心者で、他人に面と向かっては文句が言えず、損ばかりしている。佐藤が語る角栄像は、世間一般に流布された角栄像とはちょっと違い、本人の身近で愛情を持って支えてきた人間にしか悟ることのできない、意外な側面に満ちている。 田中角栄といえば、「金権」、「ロッキード事件」ということになるのだが、この本で佐藤昭は、この風評に真っ向から反論し、田中がそんなダーティーなカネなど貰うはずがないことを説く。選挙の時に飽きれるほどカネをバラ撒いたという噂も否定し、貧乏育ちで、実はつつましやかだった田中の側面を述べる。 これは実際のところ本当なのだろうか。ロッキード事件の丸紅ルート裁判では、田中の正夫人、はなさんにカネを渡したとの供述がなされている。しかし、佐藤昭については、確かにカネにまつわる具体的な証言はなされていない。越山会の女王と呼ばれ、田中の個人事務所をひとりで取り仕切っていた女性が、本当に田中のダーティーな部分にかかわりがなかったのか。 もしもセンチメンタルな妄想をするなら、田中角栄は、自分が本当に愛した女だけには、自分のダーティーな面を決して見せなかったのかもしれない。そういう面では、田中を必死に弁護するこの佐藤昭の声は真実である可能性もある。もちろん当人にとってはということだが。 金権と非難され、ボロボロになった退陣前には、田中は、「すべてが終わったら、一緒に田舎でのんびり暮らそう」と佐藤にいつも語っていたのだという。 この本の最後は、田中角栄に初めて会った10代の娘の頃に戻ったかのような、佐藤の唐突な告白で終わる。 あの、総裁戦で勝利した時の田中の堂々たる姿。あんないい顔はなかった。 政界の闇将軍と呼ばれ、復活の機をうかがっていた昭和60年、突然の脳梗塞に倒れた田中角栄は、実の娘、田中真紀子によって、リハビリの道も閉ざされたまま目白御殿に幽閉され、佐藤昭には2度と会うことはなく、9年後に死去した。 佐藤昭は、真紀子によって田中の事務所から追い出されたが、角栄が死去するまで、別の場所で、田中の復帰を信じて独自に田中事務所を維持し続けた。田中角栄を愛し、支え続けた女の、なんだか、ちょっと気の毒な気がする結末。しかし、それすらも、今は昔の物語となろうとしている。 |