「食う寝る坐る 永平寺修行記」(野々村馨著/新潮社)読了。お寺に生まれたわけでもない広告デザイナーの著者が、急に思い立ち、曹洞宗の総本山、永平寺で雲水として修行した実録。坊さんの修行を題材にしたというのは、なかなか珍しいノンフィクションである。 実は、この本はシカゴのヤオハン内旭屋で購入して一度読んだことがあるのだが、帰国の時に人にあげてしまったため、今回文庫になったのを再購入。しかし、大筋に違いはないものの、単行本の時よりかなり加筆訂正されている印象がある。気のせいかなあ。 永平寺の修行では、題名にあるように、食べることも寝ることも座ることも、すべて「行」であり「修行」である。用便でさえも、開祖、道元が「正法眼蔵」の洗浄の部で定めた作法があり、現在でもそれを一部モディファイしただけで、修行僧達は手順を守り、ずっとその通りに実行しているわけである。 食事についても、食べ方やおかわりの仕方、用具やその使い方、置き場所など、すべてが定められており、新参の修行者は、鬼のような古参雲水に殴る蹴るの厳しい指導を受けながら、永平寺での生活の基本となる作法を覚えてゆく。このへんは、ちょっと旧日本軍の内務班を思い出させるところもある。 修行僧の生活は厳しく、実に質素である。あまりの粗食のため、ご飯を食べ過ぎるとビタミン不足で脚気になる。手足がむくみ、傷はなかなか治らない。しかし摂取カロリーが低いため、ご飯をたくさん食べずにいられない若い修行僧達。飽食の時代では考えられないような、ちょっと凄まじい修行生活である。 1年が経ち、永平寺の生活にも慣れた著者は、やはり山を降りる決意をする。古参老師達の許可を得て永平寺から去る日。山門を出てタクシーに乗った著者は、思わず山門を振返り、苦しかった永平寺での修行の日々を思い出して、涙が滂沱と止まらなくなる。 地元出身のおばちゃんドライバーは、「雲水さんは、今日、永平寺を下りたの?ご苦労様」とやさしく語り掛け、著者を福井市内を流れる足羽川の土手に連れて行く。 修行に夢中になっていた間に、いつしか季節は巡り、季節は春。土手は満開の桜。陽光を一杯に照り返した川面を見ながら、著者は、ただ、春が春であることの実感、この世に生きて在ることの実感を満喫する。印象的なラストである。 まあ、しかし、1年間も外出せずにずっと永平寺の中で修行した後で世間に出たら、見るものすべてが眼に染みるだろうなあ。 |