仕事のほうは、すっかり平穏。 「田中康夫が訊く どう食べるか、どう楽しむか」(田中康夫/光文社) 読了。作家にして長野県知事の田中康夫が、天ぷら、懐石、鮨、和食、フレンチ、中華などの名店を訪ね、それぞれの店主に、料理を楽しむコツやマナーをヒアリングするという本。 本来、飲食店のオヤジは、口やかましく不親切なのが多いと思うが、気さくに色々と、初歩的なマナーや注文のしかたなどの質問に答えているのが不思議。もっとも、「本の取材で、田中康夫が聞いてるから」親切に答えてるのである。料理人が、誰に対してもニコニコと、こんなに懇切丁寧に教えるはずはない。 中国料理、「香桃」のマネジャーによる、中国料理のメニュー解説が面白い。 「野菜料理は日本人のためにメニューに載せてるだけ。中国人はそんなもの頼まない」 「紹興酒は料理酒で、たくさん飲むのは日本人だけ。中国人はほとんど飲まない」 ま、広東人がそう言うのだから、ホントなのだろうが、この2点にはちょっとびっくり。 銀座の「寿司幸」の主人による寿司の食べ方解説も役に立つ。ここは銀座の老舗で接待用の超高級店。さすがに昔から栄えた店の4代目だけあって、叩き上げでぶっきらぼうな職人上がりの親方とは180度違う。披露する接客哲学も、実に如才ない。 「銀座の寿司屋はハレの場。隣のお客様にご迷惑にならなければ、我々職人には、どんな無理言ってもらっても結構です。話しかけてもらっても乗りますよ。我々は、どんなことにも対応スタンバイできてます」 こういう寿司屋なら、居心地いいだろうなあ。もっとも値段のほうも大変に高い。行ったことないが、軽く飲んでつまんで、1名が2万円弱というところか。ま、これだけ払って居心地悪ければ、客のほうが暴れだすだろうが。ははは。 そうそう、もうひとつ、この親方の言うことでヒザを打ったのは、「寿司は手で食べるべきかどうか」に関する意見。「お客さまはお好きなように。ただ、私自身は絶対にお箸ですね」とこの主人は言う。手に匂いがつくからイヤなのだそうだ。普段は手で寿司を握る職人にして、自分で食べる時は箸。 「寿司を手で食べるかハシで食べるか」に対する私の意見は、次のようなものである。「インド人じゃないんだからハシで食え」 お箸の国の日本人なら当然である。はははは。 そもそも寿司を手で食べるのは、昔の寿司屋が、屋台の貧しい商売だった頃の名残だ。昔は、ハシなんて出すような高級な商売ではなかった。その頃は醤油だって、共用のがドンブリに入ってた店もあったという。「2度つけ厳禁」大阪の串カツ屋名物、共同ソースのようなもんである。 しかしですね。原材料が高騰して、すっかり高級料理と化してしまった今の寿司屋で、手でつかんで寿司を食べる必要が、いったいどこにあるのだろうか。寿司屋の系譜には、もうひとつ座敷で食べる高級料理屋系統というのがあって、こちらの店は昔から箸が出ていたことに間違いない。昔の精神を重要視するなら、本来は、回転寿司こそ手で食わねばならない。しかし、不可思議なことに、回転寿司を手でつまんでる奴は、ほとんどいないんだなあ。 手で食べるのが「通」という気がするのは、寿司屋の職人にも責任があって、いまだに「寿司は手で食うもんだ」なんて言い張る職人がいる。そういうことは、屋台で風呂帰りに小銭でチョイチョイとつまんで帰るくらいの値段で寿司出してから堂々と言えっつーの。 やわらかく握られた寿司は、手でないと崩れるという意見がある。しかし、握りが柔らかいので定評のある「新橋鶴八」でも、いつもハシでつまむが、握りが崩れたことなんてない。崩れるのは、多分、ハシ使いがヘタなせいである。 この本には、寿司幸主人の推奨するハシによる寿司のつまみ方が載ってるが、いつも私がやってるのと同じ。ちゃんと使えば、醤油をつけるのにも不自由なんてない。 ま、だいたい、最初にツマミを食べる時にはハシを使ってるのに、握りになったら手で食う奴がいるのも奇妙な話である。寿司を手でつまむなら、最初の刺身も手でつままないと。 もっとも、私も最後に締めくくりでカンピョウ巻きなんて食べる時は手でつまむ。海苔で巻いてあると、手でつまんでも問題ない。というより、おにぎりを連想しても、むしろ手でつまむべきって気がするんだなあ。<なんか、最後にいたって、やけに腰砕けな結論。 |