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2001/10/27 「ひかない魚〜消えてしまった「きよ田」の鮨」

「ひかない魚〜消えてしまった「きよ田」の鮨」(伊達宮豊/求龍堂)読了。

銀座は泰明小学校の近くに、「きよ田」という有名な寿司屋があった。辻邦生、白洲次郎・正子、小林秀雄、井上靖、吉田健一、堤清二、犬丸一郎といった、文化人、財界人が通いつめ、日本一値段と敷居が高く、しかし日本一美味いマグロを出すと言われた店。

この本は、この店の主人、新津武昭に、「きよ田」に受け入れた様々な高名な客の思い出話を聞き、稀代の名店の秘密を探るというインタビュー集。残念ながら、「きよ田」は2000年末に店を畳み、もう営業はしていない。

この「きよ田」の主人、新津武昭がTVに出てたのを、一度だけ見たことがある。

「きよ田」では客は注文しない。黙って座れば寿司が1個づつ、新津の見計らいで出てくるのである。TVのグルメ番組レポーターが、この新津に、「しかし、自分の好きなものを注文したい時ってありますよね?」とウカツな質問をした。すると新津は、「注文する!? 客がそんなことしやがったら…、オレが、オレは…」と憤激の表情で絶句してしまったのであった。

長年、好き勝手に自分のスタイルで商売やってきて、普通の寿司屋のように客が注文するなんて当たり前のことを考えたこともなかったから、いきなり聞かれて、あまりにも激怒したんだろうなあ。この映像はあっけにとられた。TVのインタビューは、一瞬の真実を捉えるから怖い。ま、偏屈というより奇人・変人。というより、異常の範疇に近いという印象を受けた。

しかし、「きよ田」には、先に書いたように幾多の有名人・文化人が毎日のように通いつめ、新津に言われるがままに寿司を食べて、大喜びしていたのである。この本には、そういう有名人と新津との交流が描かれているのだが、文壇の重鎮、批評界の神様、財界の大物などに対して、いかに新津が気安く口を聞き、店の中での行動を支配し、また客のほうも怒られるのを逆に喜んで店に来ていたかが分かる。

一流の寿司屋を巡る、あまりにもスノッブで一種異常な世界。新津は、寿司の職人としても、目が利いた異能の天才であったが、人たらし、ジジイ殺しの面でも一種の天才である。寿司そのものの話ではなく、「きよ田」に集まった客の人物模様を垣間見るのが大変に面白い。

もっとも、一流の芸者や銀座のホステスなんかは、客のことは一切口外しないそうである。そういう、客商売の常識から言うと、すでに故人がほとんどとはいえ、新津は、あまりにも客のプライバシーを訳知り風に語りすぎで、そこにちょっと辟易するところがあるのも事実ではある。

寿司屋の親方は、自分の店では絶対の裁定者として君臨する。嫌なら他の店に行ってください。自分の店では、誰に何出そうと親方の自由。気に食わない客にはマズイところを出せばいいわけである。そういう面では寿司屋の「神様」は、お客ではなく、親方。

ところが、この神様達は、若い頃から小僧で修行して、失礼ながらあんまり学の無いのが多い。寿司の修行では一流になって店も構え、経営者として成功してもいるのだが、根本のところで、文化や学問に対するコンプレックスがあるんだろう。

作家やら画家やら大学教授やらの文化人が、一流寿司屋の客に多いというのは、やはり寿司屋の親方のほうが、「先生、先生」と呼んで特別扱いするという側面がある。もちろん、文化人のほうも、特別待遇されたら喜んで通いつめる。しかし、いったんその店の味の虜になったら、親方にズケズケ説教されても通わざるをえない。こうして寿司屋と客は、次第にズブズブの関係になってゆくわけである。寿司道は奥が深い。「先生」と呼ばれる身分でなくてよかった。はははは。

ま、ともかく、この本は、たいへんに面白い天下の奇書である。出版社が零細だから、あんまり本屋では見かけないが、見つけたら是非買うことをお勧めしたい。