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2001/11/11 「聞き書き にっぽんの漁師」〜我々は、本当に捕り過ぎたのか。

「聞き書き にっぽんの漁師」(塩野米松/新潮社)読了。ルポライターである著者が、日本各地でベテラン漁師をインタビューし、その漁師人生をまとめた本。取り上げられているのは、三陸サンマ漁、青森のマグロ1本釣り、江戸前アナゴ漁、土佐のカツオ船漁師などなど、沖縄から北海道まで、全国津々浦々の漁である。

それぞれ章には、対象の漁師の写真が掲載されているのだが、どの顔も、海面に照り返す陽光と潮風に長年なめされたような黒褐色。漁師としての年輪を刻み込んだ、実に渋い、叩き上げた男そのものの顔である。この本のカバーには、七尾湾で漁をする大根常雄の写真が使われているのだが、これがまた、漁師だなあ、と感嘆するしかない実によい顔である。

それぞれ漁の対象は、マグロからホタテからキスから全部違うが、漁師としての人生は、どれを読んでも興味深い。「漁の醍醐味は、やったもんしかわからねえ」と本のオビにあるが、人生の大半を海に生きた大ベテランの漁師でも、網が上がる時には、なんともいえない興奮と高揚感を感じるのだという。

農業では味わえない、いわゆる狩猟、ハンティングに類似した一種のバクチ感覚でもあろうか。そういう面では、日本人の血にも、狩猟民族に似たものが、一部流れていることになるであろう。

そうそう、余談だが、八百屋上がりで多角化したスーパーは続くが、魚屋上がりでスーパーになったところは、イチかバチかの経営体制で、規模を大きくするとたいてい潰れると聞いたことがある。なんとなく分かる気がする話だなあ。

日本各地の海で、それぞれの漁師は違う獲物を狙っているわけだが、インタビューの中で、不思議にみんな同じことを言う。

「昔は、オンボロな網で、稚拙な技術でも腐るほど魚が取れたが、今は、技術が進んでも、漁獲量はどんどん減っている。俺達は、やっぱり捕り過ぎたんだ」
という述懐である。

海は広大であるが、資源はやはり有限だ。近海の海は、汚れきっている。インド洋から南太平洋まで、漁業資源の乱獲は続いている。本当に我々は捕り過ぎたのだろうか。海の資源も枯渇しつつあるのだろうか。なんとなく、本の意図とはまた違う、そういうところが気になる本だ。