「プリンシプルのない日本」(白洲次郎/ワイアンドエフ)読了。白洲次郎の書いたエッセイ集。白洲次郎は、戦前から太平洋戦争の勃発と日本が焦土と化す敗戦を公言していたと言う。敗戦後は吉田茂の側近として、占領軍との各種交渉に当たったせいもあり、外務省の役人もよく知っているのだが、その外務省の役人評が面白い。「戦争前、各国に行った外務省の役人は、みんな、予算がないから十分な活動ができないという。しかし、そういう連中が帰国すると、いつの間にか立派な家を建てているのは道理が通らぬ」 「終戦後の米軍との交渉で、米国に逆らったのは内務省の役人が多かった。一番ビクビクして米軍側に追従したのは外務省の役人であった」 外務省のお役人の感心しない体質は、ずっと昔から、ちっとも変わっていないことが分かる。 真珠湾攻撃の直前、米国側への宣戦布告通牒の交付が、なぜ遅れたかの真相は、お役人の保身とかばいあう習性によって、いまでも正式には判明してないのであるが、昔から変わってない外務省の体質が明かになった今では、はっきりと言える。 当時の、ワシントン大使館の外交官僚は、一触即発の開戦前夜でも、優雅な生活。機密費の着服も当時からやってたに違いない。上から下までのんびりとぬるま湯につかり、サボりきっていた為に、翻訳と外交文書の作成が遅れ、最重要の外交文書の交付が遅れるという、歴史に残る大失態をやらかしたのであった。 この他にも、白洲が、占領軍から示された日本国憲法の草案の日本語訳にかかわった事情を明かにしている部分などが興味深い。 外務省の翻訳官と会議室に篭って翻訳をしていた時、すでに老人であったある翻訳官が、白洲に、「シンボル」とはどう訳すかを尋ねる。白洲が辞書を引いて示した言葉、「象徴」が、現在の日本国憲法の「象徴天皇制」の条文となって残っているのであった。 |