「バチカン・ミステリー」(ジョン・コーンウェル/徳間書店)読了。 法王就任後33日で急死をとげたヨハネ・パウロ1世の死の謎を探ったノンフィクション。法王の突然の死亡は、数々の陰謀説を生んだ。いつまでも消えない「暗殺説」に手を焼いたバチカンは、外部のジャーナリストに内部を取材させて真相を語る本を出させようとする。 この本の発端は、バチカンの「社会通信委員会」長官、ジョン・フォーレ長官から、ジャーナリストである著者が、関係者を取材して真の報告を書いて欲しいと頼まれたことにある。内部に情報源を持たないジャーナリストの取材とは違い、この著者の取材には、基本的にバチカン上層部の、いわゆる「お墨付き」がある。そのため、普通なら会えないような人物にも面会し、当時のバチカン内部の関係者の証言を丹念に記録した、実に興味深いルポルタージュとなっている。 「ゴッドファーザー3」では、新法王が、多国籍企業と、バチカン銀行との暗黒の関係に鉄槌を下す姿勢を見せたため、暗殺されたかのように描写されている。実際にそういう推論を立てた「陰謀説」を語る本も出版された。法王暗殺の陰謀は本当に存在したのか。 この本では、ヨハネ・パウロ1世が突然死亡した時に謎とされた事項や陰謀の証拠とされた出来事について、丹念に関係者の証言を拾ってゆく。本当の第一発見者は誰であったか。死亡時刻は何時か。死亡時に手に持っていたのは何か。遺体発見前に、死体処理をする葬儀屋に迎えが行ったという噂は本当か、などなど。 この、真実を探る過程でのインタビューが、バチカン内部の官僚主義や、失敗を極端に隠す性格、内部に存在する出身国による差別などを鮮やかに浮かび上がらせて、実録でありながら、まるで上出来のミステリーを読むような興味深い読み物になっている。 法王の死を発見したのは、朝の5時半にコーヒーを持っていった修道女。バチカンは、当初の発表では、これを隠し、秘書役の司教を発見者とした。発見者を修道女と発表した場合、「ほれみろ、法王は女と寝ている」と口さがないイタリア民衆に噂されるのを恐れてのことだという。まあ、歴代の法王連中には、本当に不品行なのがたくさんいたので、身に染み付いた「隠す」体質と言えばそれまでだが。 なかなか丹念な調査ではあるが、結論から言うと、著者の取材では、結局のところ陰謀説を裏付けるような証拠はない。関係者の証言が、ちぐはぐに不一致であったり、バチカン薬局の法王用記録に、ヨハネ・パウロ1世の記録が、跡形もなく存在しないなど、奇妙なところは残る。しかし、万一、バチカン内部で陰謀が本当に存在していたとしたら、それは、ひとりのジャーナリストの取材でボロが出るようなお粗末なものでもあるまい。 陰謀説から離れて、この本をバチカン内部の中枢にいた人間が、ヨハネ・パウロ1世の思い出を語るインタビュー集として読むと、これまた興味深い。身近にいた司教などから語られる実像は、とてもバチカンの暗部に鉄槌を加えて改革をもたらすことができるような人物ではないのである。 「ルチアーニ(法王の本名)は、大きなことには興味がなかった」 「彼は、小さな、ささいなことにしか関心がなかった」 「法王になって、彼が途方にくれていたことはみんな知っていた」 「ほっといてやれば、いい法王にもなったかもしれないが」 口々に側近たちが、ヨハネ・パウロ1世について語るのは、こんな言葉ばかり。 イタリアの貧乏な村に生まれた真面目で信仰篤い男は、ひょんなことからローマ法王に上り詰めた。しかし、権力や政治には一切興味がなく、バチカンでは、影で「昼寝」とあだ名されていたのである。 バチカンの権力中枢で、何代にも渡って法王につかえてきた司教達が、同情を持ってヨハネ・パウロ1世の死を語る。そこには、「器」ではない男を法王にしてしまったという後悔の響きがある。とてつもない権力の座に突然祭り上げられたために混乱し、使い尽くされ、あっけなく死んでしまった不器用な男、ヨハネ・パウロ1世。 そして、ヨハネ・パウロ1世を、「田舎者」と影で侮蔑していた、権力中枢のバチカン高官達は、その突然の死に、「聖霊は、バチカン本体を安泰に置くため、いい仕事をした」と安堵のため息を漏らしたのであった。暗殺の陰謀が、本当に存在したかどうか、今では誰にも知るすべはない。おそらくは、なかったのであろう。 |