「マラドーナ自伝」(ディエゴ・マラドーナ/幻冬舎)読了。とはいえ、丹念に読んだわけではなく、半分読み飛ばしに近い。というのは、この本を丹念に読むのは、なかなか至難の技なのである。 内容は、マラドーナが、自らのサッカー人生を語るというもの。おそらくは、本人が口述したものを、後で編集したのだろう。 しかし、その語り口は移り気で、敏感で、陽気で、楽天的だが、同時に激しやすい。語られる話題も、時制を飛び越えて、自在にあちこちに飛ぶ。内容についても、主義主張や哲学といった一貫性は、ほとんどなく、自由気ままな気分次第といった印象がある。ある程度編集してこれなのであるから、実際のインタビューテープを起こすのは、ずいぶんと骨だったろう。 マラドーナの語りにあえてレッテルを貼るとするなら、「天衣無縫の混沌」といったところか。そして、それこそが、マラドーナの本質と言われれば、実はその通りなのかもしれない。 ちょっと気になるのは、こういう、いわゆる「ハイな状態」は、アッパー系ドラッグの常習者によく見られる状態ということだが、まさか、まだ麻薬やってるのではないだろうなあ。 語りの背後のあちこちに浮かび上がるのは、誰よりも束縛を嫌い、自らの力だけを信じて、自由奔放に生きたサッカーの天才の真実の告白だ。 アルゼンチンの貧困家庭から、天才的なサッカーの才能を認められ、自由気ままに想像力溢れるプレイで、「世界のマラドーナ」と呼ばれるまで上り詰めた男。そして、とてつもない成功と引き換えに麻薬に溺れ、破綻していった男。生まれた時からサッカーの神に寵愛され、そして最後には見捨てられた男。 綺麗に編集していないだけに、余計に数奇な運命に翻弄された成功と転落の軌跡がよく分かる。飾り気のない率直な語り口が、ある意味、たいへん興味深い本だ。 そうそう、麻薬常習の前科でひっかかって、マラドーナの日本入国ビザが下りずモメていると先日のニュースで聞いたが、当のアルゼンチンはまさかの予選敗退。もうマラドーナも来日する意味がなくなってしまったのだよなあ。気の毒に。 |