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2002/07/31 「戦争広告代理店」とエスニック・クレンジング

「戦争広告代理店 情報操作とボスニア紛争」 (高木徹/講談社)読了。

この本は、昨年放送された、「民族浄化-ユーゴ情報戦の内幕」というNHKスペシャルを活字化したもの。

なぜ、アメリカやNATO諸国はボスニア紛争に軍事力まで投入したか。「世界の警察」を自認するアメリカが、単なる余計なおせっかいで、ヨーロッパまで出かけていったのだろうか。

当初、ボスニアのシライジッチ外相が、紛争解決にアメリカの助力を求めた時、アメリカ国務省高官の反応は、「ボスニアにはアメリカの国益はない」、「ボスニアの紛争にアメリカが介入する理由はまったくない」という素っ気無いものだった。日本の外務官僚と違って、アメリカにはちゃんと「国益」を考える官僚がいるという気がするエピソードだ。しかし、アメリカは、結果として、積極的にボスニア紛争に介入してゆく。それはなぜか。

この本に書かれているのは、単身アメリカに乗り込んだボスニア・ヘルツェゴビナ政府のシライジッチ外相と契約したアメリカの広告代理店、ルーダー・フィン社と、その国際政治局長、ジム・ハーフが、いかにして、ボスニア紛争の存在をアメリカのメディアに知らしめたか。そして、セルビア人が民族大虐殺を行っていることを、メディアに徹底的に印象付けていった結果として、アメリカの世論と政策を、いかにして動かし、ボスニア紛争への介入と旧ユーゴへの制裁へと結びつけていったかである

今となっては、本当に、セルビア人だけが、残虐非道な殺戮を繰り返していたのかは歴史の闇の中である。ただ、はっきりしていることは、セルビア人勢力は、アメリカ巨大メディアを巻きこんだ情報戦に、完膚なきまでに敗北したという事実だ。

ここに書かれている、ルーダー・フィン社の行ったメディア戦略の中で、もっとも印象的で、かつ成功したのは、メディアに「民族浄化」というキーワードを広めたこと。

「民族浄化」の原語は、「Ethnic Cleansing」。「クレンズ(cleanse)」とは、「(不必要なものを)洗い流す」こと。台所のクレンザーのように、不用な民族を「クレンズ」するという語感は、聞いたものに、なんともいえない虚無的な恐怖と、血も凍るような異様な嫌悪感を抱かせずにおかない。

そして、セルビア人が、「エスニック・クレンジング」を行っているという宣伝は、このたった一言で、殺戮者=セルビア人の構図を全メディアに印象づけるのに十分であった。動き出したアメリカの世論は、ボスニア紛争への米軍の関与を、簡単に容認する雰囲気へと導かれてゆく。「Genocide(大量殺戮)」というよりも、もっと深い嫌悪感を抱かせる言葉の選択。これは、ルーダー・フィン社のメディア戦略の勝利である。

「ホロコースト」という単語が、注意深く忌避された経緯も興味深い。ユダヤ人にとっては、「ホロコースト」とは、ナチス・ドイツによる唯一最大の人種虐殺であって、他に比べるものは存在しない。ボスニアの紛争で、「ホロコースト」という言葉を使うと、アメリカの政治・経済に大きな力を持つユダヤ人の反感を買う恐れがあったから、この言葉は選択されなかったのであった。

シライジッチ外相のスピーチ原稿をすべて用意し、ネットワークの人気番組に出演させる手はずを整え、ワシントン政界のキーパーソンをどのように取り込んでゆくかの戦略を着実に実行に移してゆく広告代理店。金さえ払えば、アメリカ政府を動かすにも不可能はない。世論とメディアさえ動けば、それをデルフォイの神託のように織り込んで、アメリカの政治は動いてゆく。アメリカの政治は、現代にして生き残る、一種の神権政治である。国際政治に、いかにメディアの操作が深い関係を持っているか。つくづく恐ろしいような気がするノンフィクションである。