「耳を切り取った男」(小林英樹/日本放送出版協会)読了。
「耳を切り取った男」とは、画家、ファン・ゴッホである。 南仏アルルで、芸術家が共同で生活する理想の創作環境を作ろうと夢見たゴッホは、ゴーギャンをパリから呼び寄せる。しかし、矜持と誇りに満ち、自らの芸術のみを信奉する、妥協を知らない芸術家同志の奇妙な共同生活は、衝突につぐ衝突を生み、ほどなく破綻する。 ゴーギャンがアルルを捨て、パリに戻ろうとする直前、ゴッホは自らの耳を切り落とし、紙に包んで馴染みの娼婦に渡すという奇行に出る。これが有名な、ゴッホの「耳切り事件」。この事件は、アルルの住民に、ゴッホがなにをするか分からない異常者だという警戒を巻き起こすに十分であった。 ゴッホはそのままアルルの市民病院に送りこまれた後、サン・レミの精神病院へと移送される。ゴッホがピストル自殺をするのは、この病院を出て2ヶ月後。ある意味、この「耳切り」事件は、ゴッホの精神崩壊の導入部ともいえる。 著者の小林英樹は、ゴッホ自殺の謎をゴッホの贋作とからめて推理し、日本推理作家大賞を受賞した「ゴッホの遺言」を書いた画家。この本は、著者が、ゴッホの「耳切り事件」の真相を推理するというもの。 アルルを去ることを決心したゴーギャンが町を歩いていると、後ろからつけてきたゴッホが剃刀でゴーギャンに切りかかろうとした。しかし、ゴーギャンが物凄い目でにらみつけたので、ゴッホはたじろぎ、背を向けて逃げ出す。ゴッホが自分の耳を切り取ったのは、その夜であった。これが、ゴーギャンが自らの回顧録に書いたこの事件の顛末だ。 しかし、著者の推論では、これはゴーギャン側から見た事件の側面にすぎない。ゴーギャンの回顧録を丹念に事実と突き合わせると、ゴーギャンの書いていることには、自己正当化と虚偽が多く、信用できないという。 著者は、ゴッホの描いたアルル時代の作品を、ゴーギャンとの共同生活に対比して解読し、その絵にゴッホの心象風景を読み取ってゆく。 例えば、ゴーギャンが描いた、「ひまわりを描くゴッホ」。この絵のゴッホの顔は、まったく知性を感じさせない愚者のようだ。ゴッホはこの絵を見て、「これは僕だ。しかし、気の狂った僕だ」と呆然としたという。著者は、ここに、両者の関係の極度の緊張と、ゴッホの天才に対する畏れにも似たゴーギャンの悪意を読み取る。そして、ゴッホがその直後に描いた自画像は、ゴーギャンに対する回答だという。 なかなか面白い推論も多く、興味深く読んだ。しかし、「ゴーギャン君、私はこう思っているんだ〜」と、まるで横で聞いてきたような会話が大半を占めるこの著者の書きっぷりは、とても証拠に基づいた史料的価値があるものとは言えない。ノンフィクションというよりも、むしろファンタジー。ほとんどは著者のイマジネーションの産物と解したほうがいいだろう。 ゴーギャンとゴッホが、手ひどい仲たがいをしたのは、おそらく事実だ。そして、この著者が推測するように、直情径行であったが、繊細で傷つきやすかったゴッホの心をズタズタにするような発言がゴーギャンからなされた可能性もある。しかし、それが、本当に、ゴッホを自らの耳を切り取るまでに追い詰めたのかどうか。 ゴッホの書簡集、「ファン・ゴッホの手紙」には、この「耳切り事件」の後、大発作の狂乱で病院に収容されてから、ゴッホがゴーギャンに出した手紙も収められている。その手紙で、ゴッホは、ゴーギャンに、「何はともあれ、僕たちは、お互い同士好きなのだから、(中略)いざとなればもう一度やり直すことはできると信じています」と書き送っている。ゴッホは、正気でこの世の中を生きるには、あまりにも純粋で繊細すぎたのかもしれない。 |