「帝国ホテル厨房物語〜私の履歴書」(村上信夫/日本経済新聞社) 読了。副題にある「私の履歴書」というのは、日経新聞にある名物コーナーで、各界の著名人が自らの半生を語る連載もの。この本は、元帝国ホテル総料理長、村上信夫の半生だが、新聞に連載中も興味深く読んでいた。 幼い頃に両親を亡くし、小学生の頃から住み込みの小僧として働いた村上は、小学校の卒業証書すらもらっていない。このへんの境遇は、「さすらいの麻婆豆腐」の陳建民とよく似ている。料理店を渡り歩いて武者修業した後、帝国ホテルに入店して、鍋洗いからスタートした時のエピソードが印象深い。 当時の調理場は、まだ「見て盗む」職人全盛の時代で、先輩コックは後輩にソースの味付けを盗まれないよう、調理後の鍋には塩やセッケン水を叩きこんで鍋洗いに回す。村上は、鍋洗いの担当として、午後の休憩時間をつぶして、コツコツと銅鍋の外側まで丹念に一心に磨き上げてゆく。2ヶ月ほどかけ、店全体の鍋の外側まですべてピカピカに磨き上げた頃、水も塩も入っていない鍋が村上の前に差し出される。ひとりの先輩シェフが、村上の真面目な仕事ぶりを認めてくれたのであった。 そういえば、フレンチレストラン、「コート・ドール」のシェフ、斎藤政雄が書いた「料理場という戦場」にも、同じような話が出てきた。料理人見習で皿洗いをしていた斎藤が、フランス料理留学のチャンスをつかんだのは、技術指導に来ていたフランス人シェフが、洗い場をいつも綺麗にしていた斎藤を買ってくれたからなのである。 些細なことをおろそかにする人間には、決して大きなこともできない。そう頭で分かってはいても、実践することは実は難しい。成功というのは、地道な努力と実践の積み上げであるということが、実によく分かる話だ。そして、理解できても、なかなか実践できない自らの凡人度合いを思い知る話でもある。はは。 この本には、学のないのを恥じ、兵隊に召集された中国で、辞書をボロボロになるまで引きながら、漢字を一字づつ覚えて行ったという逸話もある。鍋洗いから叩き上げて、フランスに料理留学し、帝国ホテル専務取締役総料理長にまで上り詰めたのは、村上のひたむきな努力の成果であると合点がゆく。いやはや、エライもんですな。 |