「いい街すし紀行」(里見真三/文藝春秋)読了。ま、読了といっても、著者が全国の寿司屋を歩いた記録を文芸春秋の巻頭に写真シリーズとして毎月連載してたので、ほとんど読んだことがある。 著者には、「すきやばし次郎 旬を握る」という、寿司名人、小野二郎に密着取材した名著もある。元々は文芸春秋社で「B級グルメシリーズ」をヒットさせた編集者だが、先日、急逝。本来なら連載を加筆して1冊にまとめるのだろうが、それがかなわず、今までの原稿をそのまま掲載して1冊にしたようだ。 東京で江戸前寿司を食べ歩く行為は、一種の定点観測であるが、この本のように日本全国津々浦々の寿司の名店を食べ歩くのは、その地方独特の寿司種や、それをいかに寿司にするかの工夫が、その土地独特の気風を感じさせ、一種の旅情とあいまって、実に興味深いルポルタージュになっている。 この本に掲載されている東京以外の寿司屋で、私が訪問したことあるのは、金沢の「千取寿司」だけ。以前、この店のカウンタに座った時、横のお客がなにかの雑誌のグラビアを見せて、これをくれと注文して、「申し訳ございません、これは冬だけしかやってないんですよ」と言われてたが、あれは文芸春秋の連載ページだったのかな。 著者は、「千取寿司」のコウバコカニ、ブリ、ズワイ、ナメラバチメ、ノドグロの塩焼きと、北陸の冬の至福を賞賛した後、一見客もおろそかにしない「千取」の如才ない気配りを賞賛している。確かに、この店は一見客でもちっともイヤな思いはしない。勘定は安くないが、素晴らしい店である。 全国を寿司屋巡りした著者が描く、地方都市にありがちなイヤな寿司屋とはこういうところだ。ガラリと引き戸を開けたとたん、カウンタの土地っ子が、「なにごとか」という性悪な顔でこっちを眺め、主人は主人で、そういう常連との無駄話に余念がなく、一向にこっちの注文を聞こうとしない。 「だったら扉に、「一見お断り」と書いとけよ」と著者は毒づくのであるが、まったくその通り。こういうのを「田舎臭い」というのである。扉を開けたとたんにカウンタの常連が一斉に入り口を振り向く店は、一見には実に居心地が悪い。でも、こういう店は、別に田舎ではなく、東京にも多いなあ。実はうちの会社の近くでも…、なんて店の名前上げるとマズイので、やっぱり止めとくか。ははは。 |