「奇蹟との対話」(ジョン・コーンウェル/学研)読了。コーンウェルは、法王就任後33日で急死をとげたヨハネ・パウロ1世の死の謎を探ったノンフィクション、「バチカン・ミステリー」を書いたジャーナリスト兼作家。「バチカン・ミステリー」の感想は、過去日記にも書いた。 コーンウェルは、イギリス生まれ。若くしてカトリック司祭を目指し神学院に学ぶが、神への懐疑がつのり神学院を去る。オックスフォード、ケンブリッジで文学を学んだ後は、神を意識することなくジャーナリストとして生きてきた。この本は、聖母マリアの出現、涙を流す聖母像、聖痕、聖霊による治癒、エクソシズムなど、いわゆるカトリックの奇跡、超常現象の現場に彼が実際に出向き、その真相を調査するルポルタージュ。 ユーゴスラビアで少年少女に聖母マリアが出現したメジュゴリエという農村では、奇跡的治癒、そして銀のロザリオが金に変ったりする超常現象が起こっているという。人の心を"読み”、そして癒す力を持つという修道女との出会い。スペインの寒村で聖母マリアの出現に立会い、故郷に受け入れられることなくアメリカに渡った少女にいまだ生き続ける信仰。ルルドの奇跡、そして聖痕を手足に持つピオ神父との邂逅。 奇跡を盲信したカトリック信者が、これこそ神の奇跡と賛美する本であれば、おそらくこの本は読むに耐えない。しかし、いったん神に背を向けた著者の視線は、常に冷静を保とうとしている。そして、カトリックの司祭にも、「奇跡」はデタラメだと語ってはばからない懐疑者がいることを、この本はキチンと伝えている。ジャーナリストである著者の姿勢に好感が持てるところである。 そして、この本の圧巻は、ジャーナリストとしての懐疑から発した調査行の終盤。運命的な出会いをしたシスター・ブリージが祈りと共に予言した通り、コーンウェルは小聖堂に導かれ、そして予言通りに聖書を見つけ、求めていた祈りをそこに見出す。そこにあるのは、自分はここに帰ってくるために放浪していたのだという確信と安堵だ。 おそらく彼の神秘体験には、「オッカムのカミソリ」流に考えるならいくつもの合理的説明が可能だ。著者も、これはささいな個人的体験であると感じている。しかし、それは、懐疑主義、無神論に代表される「霊魂の闇」から、著者を自らの根源的な信仰に回帰させるに足る十分な出来事であった。 この本は、単なる奇跡紹介本ではない。青年期に神を捨てたという自らの「魂のトラウマ」に導かれた著者が、個人的信仰を取りもどすまでの、実に感動的なノンフィクション。そして、個人の信仰を回復させるには、大掛かりな奇跡は必要なく、自分だけが納得する、ほんのささいな神秘体験で足りることをこの本は語っている。 教会、聖堂、ステンドグラス、賛美歌、告悔、ミサ、聖書。カトリック世界にビルト・インされた、ほんの小さな神秘を、いつでも感じさせるに足る舞台装置。日本の仏教は、浄土真宗が蔓延してから、すっかり神秘と関係のないものになってしまったような気がする。 私個人は特定の信仰を持たないが、信仰を持つ人に対する一種の羨望さえ感じさせる不思議な本である。 |