このところ忙しくて、なかなか読むヒマないのだが、やはり目に付いた本は買ってしまう。村上春樹の新訳で出版された「The Catcher in the Rye」を購入。会社の行き帰りで、印象に残っているシーンをパラパラ読んだだけなのだが、鳴り物入りで新訳を宣伝してるワリには、以前とそんなに変わった気はしないなあ。 優れた小説を読む時の感動は、翻訳そのものには、あんまり依存してないのではないか。誤訳はマズイが、語り口が生硬であっても古臭くても、物語の本質や心をとらえるプロットやレトリックというものは、翻訳を超えて案外に伝わるものだという気がする。昔の創元推理文庫に入っていたSFの翻訳なんて、実に古色蒼然としてひどかったが、それでも印象に残る作品は印象に残っている。 村上春樹自身が『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を語るという対談がネットに掲載されているが、これもなかなか興味深い。村上春樹は、昔の野崎訳は高校生の時に読んだきりで、今回の翻訳には一切参考にしてないのだという。本当だとしたら凄いというか、むしろ金貰って新たに翻訳する態度としては、ちょっと問題あるのではないかと思うわけで。 ところで、この新訳本でおもしろいのは最後のページ。そこには、こう書かれている。 本書には訳者の解説が加えられる予定でしたが、原著者の要請により、また契約の条項に基づき、それが不可能になりました。残念ですがご理解頂ければ幸甚です。(訳者)原作者のサリンジャーは、有名作家になった後、突然に世を捨てて隠遁している。やはり変っているというか、自分を語られるのが心底イヤなのだろう。村上春樹も、さんざん語りたかっただろうに、ちょっと気の毒というか、ウッチャリを食ったというか、ハシゴを外されて呆然というか、なんか面白い。この部分だけでもこの本を買う価値があった。 |