「へルタースケルター」(岡崎京子)読了。普段コミックは読まないし、著者も知らないが、週刊文春のマンガ書評にこの本が、「幻の傑作ついに単行本化」と紹介されていたので買ってみた。 大柄でデブでブスだった少女。彼女は、その完璧な骨格をモデル・エージェンシーの女社長に見出され、違法医療を行う秘密クリニックで完璧な全身改造をほどこされる。美のサイボーグと化したモデル「りりこ」の上昇と転落、そして破滅。 メディアが支える大量消費社会。大衆の空恐ろしい欲望は美や若さを使い捨てにしてゆく。「りりこ」は消費され、自らの肉体と精神を使い尽くし、そして周りの者をもむさぼりつくす。内部から腐敗し崩壊してゆく改造された肉体と、終わりの予感、そして出口の見つからない狂気。 ストーリーやプロットには、実は目をみはるようなものはない。しかし、ふとしたセリフによって鮮やかに描き出される人物像と、心をえぐるような印象的エピソードを叩きつけてゆく語り口が素晴らしい。まるでよくできた映画のよう。退廃的なエロティシズム。そして疾走するスピード感。「りりこ」の独白は、自らの孤独を鋭く切り出し、やがて破滅への叫びとなってゆく。 違法医療を摘発する検事の麻田の存在も興味深い。骨格と顔の筋肉の動きのアンバランスさから「りりこ」が完璧な美貌を持つ造り物のフリークスであることを見抜く冷静な男。「若さは美しいけれども、美しさは若さではないよ」という独白は、物語にある種の救いと深みを与えている。 モデル・エージェンシーの「ママ」と呼ばれる女社長も実に興味深い人物。皮一枚の美で全てが変わることを知り尽くしている女。美醜も彼女にとっては単なる商売。だからこそ、彼女は「りりこ」の製作に投資し、メンテナンスにも金を使い、壊れるまでに投資を回収しようとする。すべてはビジネス。 そして、自己崩壊の危機を脱して消え去る「りりこ」。血まみれの壮絶なエピソード。 題名の「へルター・スケルター」はビートルズの曲名。 When I get to the bottom I go back to the top of the slide物語のラストは、破滅からの再生であり、ある種の救いを暗示しているのか。それともまた新たな地獄の物語の序章なのか。実に感心したコミックだった。 著者の岡崎京子は、この作品の連載終了後の1996年に、飲酒運転の車にはねられ、長いリハビリ中。この単行本化にあたって、著者はほとんど直接の加筆訂正はしていないようだ。おそらくできるような状態ではないのでは。タイガー・リリィの新たな冒険が描かれる日が来るのだろうか。この、恐ろしくも美しく魅惑的な物語の続きがもう描かれないとしたら、実に残念なことなのだが。 |