先月の「えんどーオフ」の際、参加者の渡辺さんから頂いた本、「鮓・鮨・すし すしの事典」を座右に置いて、時にふれて読み進めている。分厚い本だが、「事典」とあるだけに、いろんな項目をパラパラと読むだけでも楽しい。 著者は、日本橋「吉野鮨本店」3代目主人の吉野舛雄氏。吉野鮨は訪問したことがないが、もう5代目が握っているのではなかったか。この本を書いた3代目は、1906年生まれ。明治生まれであるから、もうすでに鬼籍の人であろう。しかし、江戸前寿司の古式の仕事を身をもって体験した世代だけに、書いているあれこれが実に面白い。コハダの酢洗いに始まる光り物の仕込みや、アナゴやイカの煮物仕事など、伝統の寿司種調理のコツにも、昔の仕事はこういうものだったかと感心する。 左手に寿司種を持ち、右手で酢飯をつかんだ後で酢飯の量を調整して、飯櫃に戻す所作は、俗に「捨て飯」と呼ばれ、見ていると割と多くの職人がやっている。「次郎 よこはま店」の親方のように、「酢飯の量を種に合わせるための手順で、"捨て飯"は、別に恥ずかしいことではない」と語る職人もいる。 しかし、この本の著者の意見は違う。著者は若い頃、お客のおはぎ屋に、「おはぎを作る材料は、手で押し出した1回でピタリと量が決まるが、寿司屋はなんで酢飯の量が1回で決まらないのか」と聞かれる。恥じ入ったこの3代目は、2代目の父親にこの話をするのだが、この2代目の話が凄い。 「たしかに瞬間に量目が感じ取れないようでは一人前の寿司屋とはいえまい。余分を取って元に戻すのはやさしい仕事。やさしいから習慣になり、余分がなくても型のようになっている。俺も今日からよす。お前もよせ。しかし、これは難しいぞ。」「逃げの仕事」を徹底的に嫌い、よいと思ったらすぐに取り入れる進取の気性。先代にこういう偉い人物がいたからこそ、江戸前の伝統を継ぐ名店が代々続いたのだと感じ入るエピソードでもある。 |