「THE がよくわかる本」(ランガーメール編集部/共栄図書)読了。本というより薄いブックレット。 A/AnとTheの使い分け、あるいは無冠詞でよいかどうかの問題は、英語を母国語としない外国人には実に難しい。 日本人が英作文すると一体に「The」を使い過ぎだと言われる。これはいわゆる日本語で言う「てにをは」と同じで、子供の頃から英語を使ってるネイティヴには自然に分かっても、後から学習した異邦人には使い分けるのが至難の業。中国本土で生まれた老華僑は、日本に何十年住んで日本語ペラペラでもやはり「てにをは」がちょっとおかしい。「The」の使い分けもそれと同じだ。 この本には、一般則として、A/An suggests one of many. The implies one and only.という原則が示されており、確かに大部分の用法はこれで分かる。 唯一無二の物に「the」を使う。「one and only」。「The sun」「The moon」あるいは、話者と相手の間に「ほらほら、あの」とか「そうそう、あの」という理解関係がすでに成り立っている特定の文物の前に置かれる「the」。 物事を代表する「the」というのもある。この本では、「the respesenting all」と説明されている。A whale is an animal. The whale is an animal. 二つの文は同義だが、2つめの「the」が、鯨という動物を総称する「the」だ。 あるいは、I learned how to hold the bat. の「the」。これは「唯一の」、「ご存知のその」という「the」ではなく、「バットというもの」全体を指し占めす、いわゆる概念としての総称を示す「the」である。 「The」には他にもnative以外にはすんなり理解しがたいややこしい規則があって、uncountableな名詞、bread,gold,musicなどには一般的にはつかない。これは、uncountableな名詞そのものが、なにかの総称である場合が多いからだ。もっともこれにもまた例外があったりする。 楽器の「the」なんてのも昔、学校で習った。そしてスポーツにはつかないと。これは文法ではない、やはり日本語で言う「てにをは」に似た世界。He plays the piano. しかし、テニスをするという時は、He plays tennis. なぜテニスには「the」がつかないか。この本では英国人が、テニスの場合は、tennisの前に「the game of」が省略されているからだと説明する。う〜む。native以外にはちょっと屁理屈のように聞こえるところが、いかにも日本語の「てにをは」と一緒だなあ。 辞書を引くと、天候が主語になる「the」なんてのもある。The wind was cold. 比較の文例として、A cold wind was blowing.が掲載されている。さて、この違いは何か? 辞書には答えが書いてないので、ここから先は私の語感だが…。The wind was cold. の「wind」は、話者が感じた「その」風のことだ。この風は話者の周りに吹いている唯一無二の風。であるからこの文を意訳するなら、「寒さが身に染む」ということになるであろう。しかし2番目の文にある、「A cold wind」は、話者の周りで吹いている感じがない。これはあたかもドラマの背景に流れるナレーションのようだ。話者とは関係なく、どこかに「冷たい風が吹いていた」のである。A とTheだけでもずいぶん違うものではないか。とすると、ボブ・ディランの「風に吹かれて」の一節、The answer is blowing in the wind. は、まさに自分の回りを吹き過ぎ行く風の中にこそ答えがあるのだよ、と歌っているのである。なるほど。 とまあ、勝手に感慨にふけったが、私は英文学者ではないのでこの解釈は話半分で聞いていただきたい。間違っているかもしれぬ。ははは。 この本によると、英語のNativeには、He plays the piano. と He plays piano. のふたつの文章のニュアンスの違いが感じ取れるという。私にはそこまで判別することはできない。日暮れて道遠し。ま、言葉というのは奥深いもんですな。なかなか面白い本だった。 |