前回の日記で書いた「牛久大仏」はあれこれ反応メール頂いてびっくり。意外に有名なんだなあ。 「開戦通告はなぜ遅れたか」(斎藤充功/新潮新書)読了。太平洋戦争開戦時、米国への開戦通告の手交は、パールハーバーへの奇襲攻撃から55分も遅れた。後世まで「騙し打ち」と非難される原因となった駐米日本大使館の大失態。 外交官達は前夜に宴会をやっていた、休日で翻訳が遅れた、慣れない主席書記官が一本指でポチポチとタイプ打ってたなど、様々な原因が囁かれているが、外務省も公式に大使館の不手際があったことを認めている。 この本は、さらにこの開戦通告交付遅延事件の真相に迫るルポ。開戦通告交付の当日、駐在中に病死した新庄健吉陸軍主計大佐の葬儀がワシントンで行われていた。駐米大使まで出席したこの葬儀は、アメリカ人牧師が延々と感動的な演説をしたため異様に遅れ、その場の雰囲気から中座しかねた大使が米国側への通告に遅刻したというのが著者の推測。 著者は、さらに新庄大佐がどんな任務を帯びてアメリカに駐在していたのかを追いかけ、彼が対アメリカ諜報任務にあり、国力の分析から対米開戦をすれば日本必敗というレポートを陸軍省に提出していたこと、その病死は当時からアメリカによる謀殺と囁かれていたことなどをつきとめる。そこから示唆されるのは、葬儀の遅延がアメリカ側の謀略ではなかったかという推論なのだが。 もっとも、このアメリカ謀略部分については確たる証拠はなく、まったくの推測に過ぎない。アメリカは日本の外交暗号を当時からすべて解読しており、ルーズヴェルト大統領は奇襲攻撃情報を握りつぶしたという有名な「陰謀論」を思い出させるような推測であるが、残念ながら根拠は薄弱。葬儀が伸びたから大使が対戦通告交付に遅刻というのもなんだかマヌケな話で、アメリカ側の謀略というのもにわかに信じがたい気のする話ではある。外務省の在外公館が昔も今も何も仕事せずたるみきっているというのは真実だと思われるのだが。 |