本日は朝寝してのんびり。午後からちょっと運動して汗をかいたら気分も良好。 「野中広務 差別と権力」(魚住昭/講談社)読了。政治家、野中広務の出自については、今までも週刊誌でも何度かとりざたされたことがある。しかし、京都の被差別部落の出身であることをここまで公然と書いたのはこの本が初めてではないだろうか。 資産も学歴もない。中学を卒業して大阪鉄道局の職員になり仕事で頭角を現すが、異例の昇進を妬んだ同僚に部落民であるという出自を暴かれ退職。郷里の園部に戻り町会議員となったのが政治の道に踏み込むきっかけ。しかし府議会議員を経て国会議員になったのが57歳。町会議員時代から田中角栄の知己があったとは言え、「初大臣になる頃は腰が曲がっている」と称された遅咲きの議員が、自民党幹事長として権勢をふるう立場に上り詰め、一時は首相の座さえ射程距離に入れたと囁かれた。 確かに、この本に描かれた権力の階段を上る野中の半生は、権力者へのすりより、裏切り者の冷酷な追い落とし、選挙違反、汚い金など、権力闘争に生き残る権謀術数に満ちてはいる。しかし自民党の政治家としては野中だけが特別汚いという印象もない。もっとも、例えば青木幹雄自民党参院議員会長が、密室でコソコソと談合し調整する政治家であるとするなら、野中広務は、裏で得た情報で公然と総会や議会で相手を批判し恫喝する政治家であったところがスタイルの違いか。 むしろこの半生記で野中を印象付けているのは、弱者へのやさしい政策と差別への徹底した憎悪。ハンセン氏病訴訟で政府を訴えた原告団が一番信頼した政治家は野中であったという。「人権蹂躙の歴史は承知しています」と国の責任を認め、国の控訴断念の根回しを行ったのも野中であった。 総務大臣、麻生太郎は、「部落出身者を首相にはできんわなあ」と河野グループの会合で言い放った。これを知った野中は、引退直前、自民党総務会でこの発言にふれる。「君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについてゆく。こんなことで人権啓発なんでできようはずがないんだ。絶対に許さん!」と語る野中に会場は凍りつき、麻生は顔を真っ赤にしてうつむくばかりだったと著者は書いている。表舞台から去る野中の、最後の恫喝。 麻生は吉田茂元首相の孫。銀のスプーンをくわえて生まれた、家柄も育ちもよい人間であるのだが、人格はその人相通り卑しいということが判明するエピソード。徒手空拳で権力の座に上り詰めた野中の原動力になったのが、差別の闇に対する怒りであったということが伺えるような話でもある。NHKのシマゲジ追い落とし、経世会分裂時の暗躍、小沢一郎との確執など、ここ10年ばかりの日本政治裏面史としてもなかなか面白い。 |