「ダ・ヴィンチ・コード」(ダン・ブラウン/角川書店)読了。どこの本屋でもすでに平積みでベストセラー。というよりブームは去りかけている。ま、今更ながらであるが。最初に本屋に並んだ時、ちょっと立ち読みしてこれは売れるなという印象を持ったが、自分が買うより前にベストセラーになってしまうと、逆にあんまり読みたくなくなるんだな、これが。
前作の、「天使と悪魔(上・下)」は出版されて比較的すぐに読んでいて、その感想を過去ログに次のように書いた。 ウンベルト・エーコの「フーコーの振り子」から、該博な衒学的知識を何分の一かに削り、哲学的風味も削り、ハリウッド・アクション映画風の味付けをしたような作品。やはりアメリカン・テイストというか。今回の「ダ・ヴィンチ・コード」についてもほぼ感想は同じ。 ダ・ヴィンチやニュートンなどが名を連ねるシオン修道会総長の座。テンプル騎士団がエルサレム、ソロモン神殿遺跡で発見したという隠された至宝。マグダラのマリアとイエスの関係。ダゴベルト2世とメロヴィング朝につながるイエスの血脈。そしてパリ、ロンドンに聖杯を探す追跡。 伝奇・宗教スリラーとして面白い要素をあれこれ盛り込み、活劇としてのテンポも速く飽きさせないのは著者のミステリー作家としての力量。犯人追跡のドンデン返しもよく効いている。ただし、本に盛りこまれた謎はやや底が浅く、推論にもあれこれ安易な点あり。聖杯の謎そのもののを辿る結末はなんだか尻つぼみで物足りない印象が残るのも事実。 もっともこの感想は、私自身がこの手の本が好きで、「マグダラとヨハネのミステリー」、「イエスの墓」、「隠された聖地」、「レンヌ・ル・シャトーの謎」、「レックス・ムンディ」、「イエス・キリスト聖骸布の陰謀」など、この本の訳注に参考資料として示された(ちょっとトンデモ風味入りの)本のほとんどを既読という個人的事情に由来するかも。もしもこれらの本を読んだことがなければ、「ダ・ヴィンチ・コード」が提示する聖杯やイエスの血脈にまつわる衒学的知識は実に興味深く感じられるだろう。 そうそう、ダ・ヴィンチについても、題名ほどその絵画が本のストーリーに重要な意味を持つわけでもない印象。「最後の晩餐」について、イエス横にいるのがマグダラのマリアだという想定は奇想天外で面白いが、それでは残りの使徒が11人になってしまう。 あの絵はやはり、主の横に座した「イエスが愛した弟子(一般にヨハネだと言われるが)」にペテロが「誰が裏切り者か聞け」と命じ、その者の名が分かったら刺し殺そうとしているという伝統的解釈のほうが素直に信じられる。あの絵でユダが金袋を握っているのも、幾多の「最後の晩餐」絵と同じ伝統的「お約束」に立脚しているのだから。 「誰のものでもないナイフを握る手」についても、確かに奇妙だが腕部分のデッサンも発見されており、CGによる復元をみても、ペテロの腕で明らかな破綻は無いのでは。もっとも女性のような使徒ヨハネ像に、ダ・ビンチのsexual orientationを読み取ることはあながち不可能ではない。そういう面では同じくルーブルにあるダ・ヴィンチの「預言者ヨハネ」も奇妙な絵である。 観光客がヨーロッパをウロウロするとしたら必ず訪問するであろう超有名なアイコンが、小説内の謎解きやクライマックスの舞台として実に印象的に使われている。これがこの小説の成功のひとつの理由だろう。この本を片手にヨーロッパ旅行するアメリカ人も多いらしい。私自身、ミラノで見た「最後の晩餐」(もっとも当時は修復中)、ロンドンのセント・ジェイムス・パーク、荘厳で薄暗いウエストミンスター寺院の内部(ニュートンの墓があるとは知らなかったが)、パリのルーブル美術館の「モナリザ」やガラスのピラミッドなど、実に懐かしく思い出した。 |