Amazonで注文した「二十四の瞳」文庫本が届いたので、昨夜遅くつい手に取ったら止められず、深夜1時まで。昔読んだ時の感動は再読しても同じように蘇ってくる。 子供達が本村の学校に通う部分で、昔、小豆島で実際に歩いた岬までの道を思い出した。軽い気持ちで歩き出したら、猛暑の中、実に長い道のりで、岬の分校に到達するまでエライ目にあったのだ。なんだか懐かしい。帯には、「新潮文庫の100冊」と。今年の夏も、学校の読書感想文でこの本を読む子供が日本全国にいるだろう。「日本の再軍備がアジアの脅威だ」とかなんとか、外交交渉を有利に運ぶための恫喝としてそんな世迷い事をぬかす連中には、多くの日本人に読み継がれ心の中に残っている、こんな名作があるのだと知らしめてやりたい気さえする。 |
昨日の夜、TVをつけると、黒木瞳主演でドラマ「二十四の瞳」をやっていた。原作はもちろん壺井栄の名作小説。本も読んだことがあるし、高峰秀子を大石先生役に配した木下恵介監督による1954年の映画も、以前TVで見たが素晴らしかった。 昭和初期、瀬戸内にある岬の分教場に赴任してきた若い女の先生と生徒との交流。貧困と病苦と戦争、彼らを翻弄する過酷な運命。「兵隊になるんや」と目を輝かせる男子生徒に、「先生は兵隊は好かん」と顔を曇らせ、同じく軍国主義に影響される自分の子供を叱りつける大石先生。声高な主義主張に貫かれている訳ではないが、女性の目から見た静かな反戦文学の傑作。 TV版でも黒木瞳の大石先生役は、なかなか印象的に成立している。しかし、上手く言えないが、高峰秀子にあって黒木瞳に無いものが確かに存在するのも事実なのであった。 子役については、「戦前の日本人顔」をした子供をよく揃えたなと感心。しかし、演技はセリフ棒読みであまり感心しない。成長した生徒役についても演技は生硬で、昔の木下作品には遠く及ばない。まあ、演出にかける時間も俳優の質も、TVが映画にかなわないのは当然なのだが。しかし原作そのものが素晴らしく、多少の演技の難も飲み込む底力あり。TV版もきちんと感動作に仕上がっていたのには感心した。 戦争が終わり、教壇に復帰した大石先生を囲む同窓会。大石先生は夫を戦争で無くし、元生徒にも戦死者が。復員できた一人は戦地で失明している。行方不明の女生徒も。失明したソンキは、「昔、大石先生と撮った一本松の写真だけは今でも見えるんや」と写真を指し示す。そして、子供の頃から歌が得意だったマスノが、手すりに寄りかかって静かに歌いだす。全員を蹂躙した過酷な運命と、無邪気だった幼い日が胸に去来する。壺井栄の原作でも素晴らしかったが、木下恵介の映画でもまさに感涙のラストシーン。 しかし、昨日のTVの最後の歌はひどかった。歌が上手でないと成立しないシーンなのだが、あまりにも下手で、あれは作品に対する冒涜と呼んでも差し支えない。吹き替えだってできたはずなのだが、なぜあんな歌声を使う必要があったのだろうか。監督は何考えてたのかね。ま、大して何も考えていなかったのは明らかだが。 一度だけ、夏休みで小豆島に行った時、撮影の舞台になった小豆島の岬の突端にある分教場を訪問したことがある。とても暑い夏の日であった。なんだか懐かしくなって、Amazonで文庫本を注文。最初に読んだのは、そう、ふた昔半どころではない、もっと昔のことになる。 |