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2005/08/16 「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!」

本日から出社。昼休み前に地震を感じる。最初の縦揺れは小さく、しばらく経ってからユラユラと長周期の横揺れがずいぶん続く。かなり遠くで割と大きな地震だったのではと思ったら、震源は宮城であった。

「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!」(武居俊樹/文藝春秋)読了。

著者は、小学館に入社して当時売れっ子だった赤塚不二夫の担当となり、その後も漫画編集者一筋で会社生活を終えた人物。赤塚不二夫とのつきあいは古く、深く、長い。その著者が描く、赤塚不二夫が全盛だった頃の仕事ぶりとその破天荒な生活。

満州に生まれ、極貧の生活から苦労して漫画家に。前半生も興味深いが、やはり中心になるのは、売れっ子ギャグ漫画家になってからの無軌道な生活ぶり。

連載のアイデアを出すための頻繁なブレイン・ストーミング。勘定は全て赤塚不二夫持ちで毎日繰り出す新宿の夜。酒と女と馬鹿騒ぎの日々。連載を持って雑誌を移籍する内幕。漫画家と編集者の一蓮托生ともいえる実に「濃く」、密接な関係が描かれているのが興味深い。

当時のフジオ・プロダクションには、高井研一郎、土田よしこ、古谷三敏、北見けんいち、あだち勉などがアシスタントとして在籍。その後独立してみんな成功を収めた。タモリにしても、無名のシロウトから、赤塚に見出され、後押しを受けて売り出し人気者になったのは有名なサクセス・ストーリー。

苦労人で人懐こく、実は真面目で小心な人であったが、「立派な馬鹿」になるために一生懸命、破天荒な生活を続けていた赤塚不二夫。アシスタントや周りの人間の成功にまで気を配る、その心優しい側面について描かれているのも印象的。長年そばにいた著者でなければ書けない部分。

「国会で青島幸男が決めたのか」、「忘れようとしても思い出せないのだ」、「それでいいのだ」などの名フレーズ。イヤミ、チビ太、ニャロメなどキャラクターも人々の記憶にまだ残る。ギャク漫画では頂点を極めたのだが、アルコール依存症になってからの没落も早かった。「おそ松くん」、「天才バカボン」、「もーれつア太郎」など、今では本屋で見かけるのも稀。

赤塚不二夫は数年前に脳内出血で倒れ、それから病院のベッドで寝たきりの植物状態。眼は開けるが反応はない。刺激を与え続けたほうがよいと看病する奥さんは話す。著者は、水割りのグラスを赤塚の耳元で揺らし、カランカランと氷の音を聞かせ、水割りを赤塚の鼻の下に塗って話しかける。「水割りのほうが点滴より美味いと思うよ。早く戻っておいでよ」と。赤塚不二夫は目を開けるが、もう何も反応はない。ただベッドに横たわったままだ。序章が実にショッキングで、胸が痛む。