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2005/12/26 「茜雲 総集編〜日航機御巣鷹山墜落事故遺族の20年」

夜7時からの打ち合わせ多発だとか、自宅で鍋パーティーだとか、年末の寿司屋巡回などが重なりページの更新もしばしおろそかに。年末はさすがにあれこれ。

日曜午後は二日酔いでずっとグータラ。「茜雲 総集編〜日航機御巣鷹山墜落事故遺族の20年」(812連絡会編集)読了。

今年の夏は、御巣鷹の尾根に日航123便が墜落してから20年目。事故を振り返る本も多数出版された。この本は「812遺族連絡会」が事故後毎年発行していた文集を、20年の節目に総集編として出版したもの。

事故で亡くなった被害者の遺族達は、遺族同士の連帯を深め励ましあう目的で事故後に「812連絡会」を結成した。連絡会結成に携わったのは、夫や子供を亡くした事故前まではごく普通の主婦だった女性たち。自宅を事務局にして専用電話を設置すると、遺族からの電話が鳴り止まない。「もう死にたい」という訴えに、「一緒に生きよう」と一言だけしか言えず、あとは一緒に泣くしかなかったのだと前書きにある。

購入したのは夏なのだが、この前書きを読んだ段階で不覚にも落涙しそうになり、「これはいかん」としばし本棚に封印。昔はどんな本読んでも映画見ても、涙出ることなんかなかったが、齢を重ねるとなぜか知らぬが涙腺が緩んできた気がする。何かに触発されて湧き上がるエモーショナルな記憶の量というものが、人生経験を積むほど増えてくるからではないだろうか。

肉親を亡くした遺族のやり場のない悲しみ、失った愛する者たちへの思慕、生き残った家族だけで歩いて行こうと決めた静かな諦観。どの手記も涙無しには読めない。両親と兄弟を一気に失った少年、娘3人を一気に失った両親など、この世に神様がいるとして、なぜこんな悲惨をお与えになるのかと嘆息するような心痛む手記が並んでいる。そして遺族達が抱いた事故責任に対する怒りと疑問をも、我々は長く語り継いで行くべきなのだろう。

これらの手記でもうひとつ印象的なのは、遺族達の追憶にでてくる犠牲者達にまつわる思い出が、実に美しいものばかりであること。彼らは良き夫であり、良き妻であり、頼りになる素晴らしい父であり、心優しき子供達であった。

人間の記憶は、磁気ディスクや半導体に保存されたデジタルな記録とは違う。それは結晶化するのだ。心ならずもこの世を去った愛する人々の、在りし日の些細な欠点を思い出しても、残された者たちが生きてゆく何の助けにもならない。彼らは空の彼方できっと私達を見守ってくれている。そんな風に考える時、我々の心のフィルターは、去って行った人々の記憶から美しいものだけを選択して、折に触れて思い出し記憶を強化し、過去の思い出を純化してゆくのだ。

題名の「茜雲(あかねぐも)」とは、あの墜落の夕方、123便の窓から見えたかもしれない夕焼け空に遠く輝く雲のことなのだそうである。