「拒否できない日本」(関岡英之/文春新書)読了。 日本とアメリカ両方に住んだことのある身としては、アメリカで起こったことは遅かれ早かれ必ず日本でも起こるという事はいろんな場面で実感できる。アメリカから日本に流入しているのは、映画や音楽、ファッションなどの文化だけではない。市場経済や法律といった社会制度全般においても、ワールド・スタンダードと称して、実は単なるアメリカ化が進んでいる。 アメリカの後追いで起こっているようにみえる事象は枚挙にいとまがない。例えば、金融ビッグバンと称される金融規制緩和、保険の自由化や時価会計・減損会計等の導入による企業会計制度改革、ファイナンス理論と時価総額経営、株式分割やM&A、ITバブルとその崩壊、司法改革と弁護士法の改正、商法の大改正とコーポレートガバナンスの強化などなど。 この本は、このような日本社会の変化は、ただ自然にそうなってるのではなく、アメリカが、「アメリカ流こそ正しい」という哲学の元に、アメリカの利益を極大化する計画の元に日本に圧力をかけているのであり、いまや日本の諸制度はアメリカの意のままに変えられているのだと説く。 レーガンの時代に始まる対日圧力の歴史は、米政権が共和党から民主党に移っても脈々と生き続け、アメリカの利益を最優先に日本に種々の改革を露骨に要求し、大きな成果を上げている。アメリカ大使館のホームページには「日米規制改革イニシアティブ」関連の文書がアッケラカンと掲載されているが、これを読むとアメリカの対日圧力と、それが実現してゆく過程がよく分かるのだという。近年の日本社会の様々な変化と照らし合わせながら読み進めると、これが実に面白い。 先月号の文藝春秋では、この著者が石原慎太郎と対談し、日本の法科大学院構想は、アメリカの事務所が日本で弁護士を雇ってアメリカ企業のために自由に活動できるようになる礎であり、アメリカ流ケースメソッドで大量養成された弁護士は、アメリカ企業防衛の「足軽」となって日本で活動するのだと述べている。そう言われるとそんな気もするんだよなあ。 円高とバブル経済で金が余った頃の日本企業は、ロックフェラービルなどのアメリカ不動産やコロンビア・ピクチャーやらのアメリカ企業を買いまくったが、バブル崩壊と共に結果的にはみな失敗に終わっている。アメリカが日本に乗り込んでくる時は、金の余った企業が勝手に単発で来る訳ではない。まず政府からシステマティックに日本に圧力をかけ、法律や規制をアメリカの得になるようにちゃんと変え、道をちゃんと整備してから進駐してくるのだ。なんだか確かにそうかもしれないと頷ける話ではある。 |