「神社の系譜〜なぜそこにあるのか」(宮元 健次/光文社)読了。 日本各地の有名な神社は、なぜその場所にあるのか。鹿島神宮、出雲大社、伊勢神宮などの神社の位置を、夏至や冬至の日没、日の出の方向(自然暦)を使い読み解いてゆくと、その並びには明らかな法則がある。神社の位置には、古代からの壮大な「意図」と「仕掛け」が隠されていたのではと問いかける本。 昔の遺跡が、方角的に何らかの法則に基いて配置されているというのは、例えば「レンヌ・ル・シャトーの謎」でも扱われたように、ちょっと「トンデモ」の香りもするのだが、読むとなかなか面白い。東照宮の配置に見る、徳川家康の神への再生の願い、そしてそれは秀吉の秘儀を真似したものだったという呪術的解釈など、まるでSF伝奇スリラーを読んでるかのよう。 買った時には気づかなかったが、この著者は、以前感想を書いた、「仏像は語る〜 何のために作られたのか」の著者である。推古、平安の昔から人々が仏像に見た「救い」や「夢」。戦乱、病苦が襲う苦しみの現世で、一族の繁栄や世の平和、そして心の平安を求め、人々がどんな祈りを仏像に託したかを語り、仏像がどんな運命に翻弄されてきたのかを語るという興味深い本であったが、今回の本はちょっと毛色が違うような。もちろんこちらも面白い。 最後に語られる、靖国神社設立場所の話も興味深い。靖国の原型である東京招魂社は当初上野にあった。ここは彰義隊と官軍が争い火の海となった場所。しかし、靖国神社の創始者にして、日本陸軍の祖、大村益次郎は、靖国設立にあたり、この「亡魂の地」を避け、新しく見晴らしのよい高台の地にこれを求めた。ここ九段の地は、火除け地かつ騎射馬場が置かれた場所で、元来、土地に刻まれた「記憶」が大変希薄な場所であったという。 靖国というのは、確かに一般の他の神社とは違う、一風変わった雰囲気を持った場所である。ジメジメしたり鬱々としたところがなく、何かこう、スポーンと突き抜けたような、晴れ晴れした印象を受ける。 もちろん、参道の広さや鳥居の巨大さから来る印象もある。しかし、この本で場所選定の話を読んで感じたのは、やはり亡霊も怨恨も住まわず、人を呪縛するような記憶が刻まれていない土地の選定が、この神社全体の印象に関連があるのではないかということ。これはという因縁も依り代も無い土地には、霊魂も帰って来ていないのではないか。護国の鬼となって南の海にあるいは陸に散華した若者達の魂が、果たしてどこに行ったのか知るすべはない。しかし三島由紀夫が「英霊の声」で書いたような、地の根の底から響いてくるかのような重苦しい呟きは、どうにもこの場所からは聞こえてこないような気がするのだが。 |