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2007/01/28 「失われゆく鮨をもとめて」

「失われゆく鮨をもとめて」(一志治夫/新潮社)読了。

著者がふと尋ねた目黒住宅街にある外見は何の変哲もない寿司屋。しかし著者はここで「世界一幸福な食事」と自ら呼ぶ体験をする。そして「狂気さえも帯びた情熱と探究心」を持つこの店の親方の案内で、日本各地に食材と食文化を探る旅に出るというノンフィクション。

日本全国の漁場で同じように語られるのは、昔はいくらでも獲れた素晴らしい魚介類が、今やほとんど取れなくなっているという危機的な状況。最近の「現代」でも、同じ著者が「本物の寿司が食えなくなる日」として、数ヶ月に渡り、全国各地の寿司種になる魚の漁獲がいかに減っているかの現状をルポしていた。日本の近海漁業については、以前、「聞き書き にっぽんの漁師」という優れた本を読んだこともあるが、やはり語られる現状はほとんど同じ。素材の探求は魚だけでなく、米、酒、味噌などの素材にまで及ぶ。

面白いのは、この本には親方の本名は出てくるが、この寿司屋の店名については、一切書かれていないこと。あえて書いてないことを、私がバラす必要もないのだが、この目黒、住宅街にある寿司屋は、寿司が好きな人なら一度は名前を聞いたことがあるのでは。私自身は未訪。弟子筋の店には行ったことがあるのだが。

この本では一章をあてて、とある師走、とある一夜のこの店の営業の様子を、まるで実況中継するかのように描き出している。

親方の自負と薀蓄が渾然一体となった、ジョーク交じりで饒舌なトークは、まるで何かの芸能の独演会を見るかのよう。寿司種以外に、炊いたり、焼いたり、漬けたりしたツマミや、珍味系があれこれとおまかせで順に供される。厳選した日本酒で楽しんだあとに、「そろそろ鮨屋開店します」と親方の宣言で握りの時間となる。この営業形態は人によって相性があるだろうが、一種歴史ある会員制のサロンのような印象を与える。常連ばかりのところに紛れ込むと結構居心地悪いかもしれぬ。まあ、寿司屋にもいろいろあって、面白いもんだよなあと感じ入ったことであった。