「お笑い裁判傍聴記」というのはなかなか面白かった。その流れもあって、週刊新潮に、裁判マニアの女性達が書いた「霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記」の広告が載った時にAmazon.co.jpに発注。届いたのはかなり前なのだが、ずっとそのまま放置していた。この週末に読了。 裁判の傍聴はしたことがないのだが、著者達のレポートはなかなか軽妙で実に面白い。面前で明らかになる、様々な他人の人生の真実を覗き見する不思議な感覚。裁判官や検事、弁護士の人間臭い横顔がレポートされているのも興味深い点。 そもそもは、本家のブログがあって、それを本にしたらしいが、ブログのほうもなかなか面白い。ただ、最近、共同著者でもあるオリジナル・メンバーのうち2名は「霞っ子クラブ」を脱退したらしい。ひょっとして仲間割れでもしたのだろうか。たった4人のグループの動向にも、世の中の無常を感じるな。 この本は、刊行当時から、「厳粛なる裁判を馬鹿にしている」「被害者の気持ちを考えろ」など、主として匿名の批判がネットで一時集中したらしい。裁判とは、大岡越前の頃のお白州ではあるまいし、そんなに平伏して受け止めなくてはいけないものだろうか。公開されている以上、傍聴もどんな感想持つのもそれは自由であると思うのだが。この本にカンカンになって激怒する人は、おそらくTVのワイドショーで気に食わないことがあると、突き抜けんばかりの筆圧で抗議の葉書を書き、送りつけてるような類の人々という気がするのだが。あるいは新聞の投書欄の常連とか。 それにしても日本では、この手の本を例外とすれば、裁判の実態はまったく一般に知られていない。裁判員制度なるものも、誰が望んだのか知らないが、なぜか急に決まって、最近週刊誌などでも周知する広告が出るなど着々と進行している。しかしあの制度を導入して、社会に何か益があるのだろうかね。 まあ、もともと、アメリカで起こったことは何でも日本でも起こる。エンロン事件後には、委員会制度など企業統治も似たようなのが急に導入になるし、最近では監査法人もヘマをやると潰れるようにもなった。法律面では、法科大学院制度も作られ、アメリカに負けじと弁護士を増やし、アンビュランス・チェイサーもたくさん育成し、今度は大訴訟社会を作ってゆくというのが日本の進むべき道なのだろうか。どうもそのへんになると、ちょっと違うのではないかという気がしてくるのだが。 |