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2007/03/12 なにも願わない手を合わせる / 渋谷 

「なにも願わない手を合わせる」(藤原進也/文春文庫)と「渋谷」を続けて一気に読了。 「黄泉の犬」を読んでから、一緒に発注した藤原進也の本。

前者は、ガンで亡くなった実兄の供養のため、四国八十八ヶ所霊場を巡った著者が、旅に去来する心の動きや、先々で出会った不思議な出来事について語るエッセイ。

なぜ人は遍路を歩き、祈るのか。著者自身は、「自分自身の死者に対する残念を浄化することが死者への供養」との考えを述べている。「なにも願わない手を合わせる」とは、死後の世界や輪廻転生を前提にした死者への祈りではない。肉親のあまりにも不条理と思える死を目の当たりにして、現世に残された著者が、最終的に帰着した、自らの心にだけ問いかける祈りの姿である。

著者が出会ったエピソードでは、「死蝶」も忘れがたいが、ひとりでお遍路を歩く93歳の老女の話が印象的。夫婦で一緒に四国を回り始めたのだが、夫は18番の札所で亡くなった。「寺で死んで本当にありがたかった。何から何までお寺さんがやってくれて、きれいさっぱり成仏できた。家族にも連絡していない。誰にも迷惑かけることなくあの世に行くのが老人のつとめですから」とこの老女は恬淡と語るのである。

ずいぶん前、「お遍路入門」という本読んだ時に思ったことではあるのだが、仕事をリタイヤしてやる事が無くなったら、まだ元気なうちに家も車も一切合財売り払い、身体ひとつで四国を巡礼したい気がする。そして、どこかの札所の宿坊で、翌朝、隣の人が起こしてくれようとするともう息をしていない。遍路に死す、そんな最期もいいなあ。

本の見開きに四国札所地図がついているのを見ながら、ちょっと本気で考えたりして。

「渋谷」のほうは、渋谷でふと出会った女子高生の心象風景に著者が踏み込んでゆくドキュメント。世の中に正対して、そこに必ず何かの意味を見出そうとする藤原信也の探求は、確かに無骨で剛直で不器用にも感じられるのだが、おそらくそれは、現実の世の中のほうが虚飾に満ち、信ずべきものが何一つ存在せず、その場その場でチャラチャラと移り変わる蜃気楼のようなものに成り果ててしまったからかもしれない。そんな事をつくづく感じ入るエッセイ。

色彩を失った少女の見た渋谷の街は、無機質で心を麻痺させる、どんよりしたトーンに鈍く輝いているのだ。