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2007/04/10 「1976年のアントニオ猪木」

週刊誌の書評で読んで発注した「1976年のアントニオ猪木」(柳沢健/文芸春秋)が届いた。一気に読了。

その昔、力道山が活躍した日本プロレスの黎明期には、誰もがプロレスは真剣勝負だと信じていた時代が確かにあった。しかしやがてそのベールは剥がれ落ち、「プロレスは筋書きの決まったショーである」という事実を誰しも知るところとなる。しかし一方では、「プロレス最強伝説」、「アントニオ猪木最強伝説」なるものが存在するのも事実。アントニオ猪木が行った異種格闘技戦が全て真剣勝負であったと信じる人もいるだろう。

この著者は、関係者への丹念な取材を積み重ね、アントニオ猪木が、1976年に3試合だけ「リアル・ファイト」を行っているが、それ以外の試合は全て「プロレス」であったと述べ、そしてこの「特異点」とも呼べる3試合の「リアル・ファイト」が、その後の日本の総合格闘技の発展にどのような影響を与えているかを考察する。1976年という一瞬の断面だけに光を当てた独特のルポルタージュであり、アントニオ猪木という異形のレスラーの伝記としても興味深く成立している。

猪木がたった3試合だけ行った「リアル・ファイト」とは、モハメド・アリ戦、韓国のパク・ソンナン戦、パキスタンのアクラム・ペールワン戦だと著者は語る。著者が取材によって明らかにする「なぜショーではない真剣勝負になったか」の背景が、これまた実に興味深い。

モハメド・アリはエキシビジョンのつもりで来日した。ヘビー級チャンプがプロレスラーに本気で勝っても得るものは何もない。しかし、猪木は本気でアリを倒すつもりだった。それを知ったアリ陣営の硬化と、そこから始まった競技ルールの徹底的議論。半分ハメられたにも関わらず、最後まで戦ったアリの勇気。そして、猪木に「ある」テクニックがあれば試合の結果が変わっていたかもしれない、という著者の分析もなかなか面白い。

そして因果は繰り返す。アクラム戦において逆にハメられたのは猪木であった。招待を受け、「プロレス」をやるつもりでパキスタンに降り立った猪木は、試合直前にアクラムは本気で「ノー・ルール」の真剣勝負をしようとしている事を知る。マネジャー新間の目には、リングに上がった猪木の足が震えているように見えたという。しかし当時の猪木は、本当のファイティング・スピリットを持っていた。グラウンドで執拗にアクラムのスタミナを消耗させ、カメラの死角で指をアクラムの目に突き入れる。そして最後は肩を脱臼させ、この「リアル・ファイト」に勝利を収めたのだ。この辺りの経緯についても、著者の取材は的確で一読の価値あり。

アリがもともとプロレス好きであり、ビッグマウスは、ゴージャス・ジョージ、ブラッシーから学んだこと。UWFやリングスも、実は事前に打ち合わせが行われたショーであったこと。モンスターマン戦以降の猪木の異種格闘技戦も、事前に打ち合わせがされた「プロレス」であったこと等、サラリと触れられている細部がまた興味深い。著者がプロレスの世界にどっぷりつかった記者ならば、逆に制約が多すぎておそらく書けなかっただろう。

戦いの場を演出し、観客のエモーションを的確にコントロールしてカタルシスに導く天才的なパフォーマー。しかし、経営者としては、会社を私物化し、巨額の借金を重ね、結局のところ自ら築き上げた新日本プロレス帝国をも破壊してしまう。たった3試合の「リアル・ファイト」とその後に焦点を絞ることにより、アントニオ猪木の実に奇妙な横顔とその伝説の真実に迫った、印象的なノンフィションだった。