帰りの電車でちょっと前に買った、「UFO事件の半世紀」読了。1947年に戦闘機パイロットだったケネス・アーノルドが飛行中に、はるかかなたを「水を切って飛ぶ皿のような金属製の物体」を見た、と報告した事からドッと有名になったUFOとの遭遇だが、この本は、アダムスキー騒動や、UFOに誘拐されたと主張するヒル夫妻、ロズウェル事件などなどの超有名な事件を追いながら、UFO肯定説、否定説をともに紹介しつつ、UFO目撃の歴史をふりかえるもの。
一応どちらの意見にも偏っていない点と、網羅的にいろいろな有名なケースを取り扱っている点がなかなか面白い。ただ、今では、大半のケースは、Skeptic(懐疑主義)派からは色々と反証が出て、でっちあげだったと趨勢が固まっていると思われる。個人的には、アダムスキーやマイヤーなんてのは、やはりデタラメだったと思わざるを得ない。
アメリカでは、「未知との遭遇」や「インデペンデンス・デイ」などの影響もあるのか、UFOを信じる人が国民の半分近くいると言われるが、この「信じる」と言う定義も、極めてあいまいだ。まあ、子どもの頃は、どこかの宇宙人が宇宙船に乗ってきている可能性もあるのではと思っていた頃もあったけど、やはり、どうもそんな事は信じられないよなあ。
昔、中東で、旧約聖書の世界に生きていた人々は、空が割れて、大天使が天空から降りてくる光景や、激しい風と大いなる雲の周りに炎を吹き出す青銅のように輝くものを見た。19世紀のファティマでは、マリアに会ったと称する子供たちの周りに不思議な光を見て、ある人々は聖母マリアの降臨と信じた。
しかし、もはや人は天が開けて降りてくる神の幻を見る事は無い。今、人々は、銀色の円盤が天空を飛び、森に着陸した不思議な物体から緑色の小人が出て来るのを見る。我々は、現代の新しい神話の誕生に立ち会っているのだろうか。そうすると、UFOは、カール・グスタフ・ユングが言うように、現実では無く、単なる集団的無意識の投影なのか。どうも、だんだんとそんな気もしてきた。個人的な予感としては、近い将来、臨死体験の研究とUFOの研究はどこかで交差するだろうと思うのだが。どっちにしろ胡散くさい話だが、実は、こういうのは大好きだ。はは。