虎ノ門の行き帰りで、「凍れる心臓」(共同通信社)読了。昭和43年、札幌医科大学で行われた、和田教授による日本初の心臓移植手術の数々の疑惑を追ったルポルタージュ。吉村昭にも同じ心臓移植手術を扱った「神々の沈黙」と言う本があり、こちらは以前に読了済み。
この本に限らず、通信社や新聞社の編集した本は、まず目新しい事実は載っていない。なにしろ、本業が報道なんだから、ニュース性のある新事実の発見なんかは、そっちのほうですぐに報道してしまうから。しかし、色々な事実を包括的に振返るには、なかなか便利な本が多い。
移植手術発表当時は、日本初の快挙として一躍マスコミのヒーローとなった和田教授だが、移植を受けた宮崎君が手術後83日にして死去してからは、医事評論家から殺人罪で告発されるなど、手術に関する数々の疑惑が浮上した。
医学界の徒弟制度の厚い壁や、よそ者を寄せ付けず、仲間をかばう医学界の閉鎖性などにはばまれて、結局、和田教授は殺人罪に関しては不起訴になった。しかし、その後の関係者の証言を総合すると、どうやら、彼は功を焦って、脳死の確認もロクにしないまま、回復の可能性すらあったドナーから心臓を取り出し、しかも、心臓弁の手術だけでよかったかもしれないレシピアントに、ろくな説明もせずに心臓全置換手術を強行した疑いが濃厚だ。
その後の取材でも、宮崎君から摘出した心臓標本の弁を別人の物と取り替えたり、弟子達に口裏を合わせるように命じたり、医療記録を改ざんしたり、手術前のドナーの心電図を破棄したりなどの、信じ難い色々な証拠隠滅工作の疑惑も色々と明らかになった。まるで、山崎豊子の小説「白い巨塔」を地で行くような話だ。それとも、小説のほうがこの事件をモデルにしたのだったか。う〜む。忘れた。
もしもこの一連の疑惑が事実なら、和田教授の手は、崇高な医療ではなく、殺人の血にまみれていると言っても過言ではない。この30年前のたった一件の強行手術の疑惑によって、アメリカでは年間2500例も行われている心臓移植は、日本では永遠に封印されてしまったかの感がある。日本でも海外に渡航までして手術を待つ、移植でしか助からない人達が沢山いるだけに、この日本初の心臓移植手術の功罪はもっと語られてもしかるべきかもしれない。
もっとも、医学関係者の中では、優秀な外科医になるには、屍(しかばね)の山を乗り越えて行かなくてはならない、なんて言うそうだ。確かに、外科でも色々な術式の改善なんかは、やはり患者を試験台にして色々と試して進歩して来たと言う歴史もあるのだろうが、乗り越えられる屍になる側はたまったもんじゃないよなあ。