昨日の夜は、部屋に戻ってから、「間違いだらけの少年H 〜銃後生活史の研究と手引き〜」(山中 恒・山中典子/辺境社)を読み進める。本文800ページ以上という分厚い本だが、読み出すと非常に面白くてやめられない。結局、日記書くのもお休みして夜中までかかって読了。
「少年H」というのは舞台美術家にしてエッセイストの妹尾河童氏が、自分の少年期を書いた自伝的小説だが、ご本人の弁によると、「戦争の時代を伝えるために、少年の目と高さで、自分が見たもの、耳で聞いたこと、感じたことだけを書いた、後から知った知識は一切書いてない」自伝である。
「少年H」は、170万部以上を売り上げたベストセラーになったが、私が知ったのは、今年の春、たまたま神戸に帰った時に、昭和ヒトケタ生まれで、著者の妹尾河童氏とほぼ同年代、しかも同じ神戸で生まれ育った私の叔母が、「あの本は、よかったでえ」としきりに感心していたので、どんなものかと思って買ったわけである。
読後に感心したのは、すでに60代後半の妹尾氏が、よくこれだけ小学生3年生くらいから中学生にいたる自分の生活を、両親や友人との会話に至るまで覚えていたものだということ。
そして、さらに印象的なのは、「大人も新聞もウソつきや」と本の帯に書いてあるとおり、小説の主人公「少年H」が、軍部の暴走や軍国主義の暴挙、混迷する政治の愚かさ、ひいては天皇の戦争責任についてまで、あの時代にあって大人も顔負けの冷徹な批判精神を持っていたということだった。この点については、本を読んだ人はたいてい同じ感想を持つだろう。
で、昨日読んだ、この「間違いだらけの少年H」は、妹尾氏とほぼ同年代生まれ、昭和ヒトケタ焼け跡世代で、当時の世相についての著書を数多く書いている著者の山中氏が、「少年H」の歴史的記述の不正確さに不審を抱き、実際の史実を細かく分析しながら、「少年H」を批判した本だ。
「少年H」という小説は、妹尾氏自身の記憶に基づいて書かれたのではなく、実は、講談社発行の、「昭和2万日の全記録」をネタ本にして、そこに掲載されている新聞記事やエピソードをそっくりそのまま頂いて、さながら自分が経験したことのように脚色して小説にしているという事実を、実に精緻な分析によって明らかにしてゆく。
もっとも、「昭和2万日」の記述がすべて史実であって、「少年H」がそれを実生活で経験したのであれば、両者が一致するのは必然であってなにも不思議なことではない。しかし、著者の分析によると、「昭和2万日」には編集者の誤解によって、明らかに史実と違う記載が多々あり、不思議なことに「少年H」はその間違いを、あちこちで自分が経験したこととしてそのままに踏襲している。
また、「実際にある史実が起こった日」と、「報道されて当時の人がそれを知った日」には、一般的にズレがある。特に、戦争中のように報道の管制が引かれていた当時では、今となっては当時の年月で年表に書かれているが、実は戦後になって始めて明らかになった史実がたくさんある。
しかし、「少年H」を丹念に読むと、当時は日本の誰も知り得なかったような事実に対して、「少年H」が、「大人はいったい何を考えているんだ!」と、色々と憤慨したり批判している場面が多々ある。どうやら、それは、妹尾河童氏が、「昭和2万日」の年表の記述をウ飲みにして、氏の「現在の歴史観」で当時の「少年H」に色々と脚色してしゃべらせているのだ、というのが、山中氏の分析である。
本が大部にわたるため、あまりにも「少年H」の細かい揚げ足取りにまで踏み込み過ぎているきらいもあるが、大筋に関する批判は的確で、信憑性があると思う。
もっとも、こうまでコテンパンにやられると、ちょっと妹尾氏も気の毒な気もする。誰しも自分の少年時代を書くのであれば、ある程度の美化は避けられないように思うし、まして、60代後半になって自分の少年時代を思い起こせば、いいことしか覚えてないのもうなずける。しかし、覚えてないことまで年表で調べて、さも自分が当時経験したかのように書くのは、やはりルール違反だ。
そうそう、この本は、「少年H」を離れて、単に当時の生活史の研究として読んでも実に面白い。
「戦争中は軍部が暴走して、やり放題でなんでも無茶苦茶できた」、「新聞は軍部の走狗となってウソばかり書き連ねた」などというのは、戦後すっかり定着した感のある戦時中の印象であるが、実際に史料を丹念に見て行くと、これもちょっと行き過ぎた一種の神話であることが理解できる。
いくら戦時体勢とはいえ、当時の日本も法治国家であって、それなりに議会も機能しており、さまざまな法律の変更についても、軍部が一朝一夕に変えたわけではなく、周知徹底するために色々な報道や通達もなされていたことが分かるし、新聞は新聞なりに、検閲、記事差し止めの網をくぐって、なんとか真実を伝えようと努力したことも分かる。もっともそれが大部分の庶民には伝わらなかったことも真実ではあるのだが。
というわけで、ひさびさに読み応えある本だったけど、ただ、文句があるのは値段だね。普段は本の値段なんて気にするタチではないのだが、図版もほとんど入ってないし、学術書でもないのに5600円ってのはなあ。 |