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1999/06/23 「ゴッホの遺言」

異動したばかりでたいした仕事も無い。昨日、不調だったPCは、フォントをもう一度再インストールするとなんとか解決。本日は定時退社の日ということで6時過ぎには会社を出た。

ここ2〜3日の通勤途上で、「ゴッホの遺言〜贋作に隠された自殺の真相〜」(小林英樹/情報センター出版局)読了。異形とも言える力強いタッチと炎のような色彩の絵画で知られるゴッホがピストル自殺したのは1890年だから、いまからもう100年以上も前のことになる。

平凡な勤め人には向かず、キリスト教の伝道使を目指すも、その頑迷かつ激情的な性格から教会に受け入れられず、神学の道を断念。何度か熱烈な求愛に及ぶも、恋愛にもことごとく破れ、壮年期以降は、その人生の情熱を絵を描くことだけに捧げたフィンセント・ゴッホだが、肝心の絵はまったく売れなかった。

その生活のすべてを金銭的に支えたのは、当時では唯一のゴッホの理解者であった画廊勤めの4歳年下の弟、テオだ。フィンセント・ゴッホは、結局、現世では一度も成功を体験することなく自殺する。ゴッホの自殺後、弟テオは2度も精神病院に入院し、半年後に狂死する。これはなんとも悲痛な話だ。現代ではゴッホの絵画は何十億円もの値段で取引されているのだから、神様も、よくよく残酷な運命を、気まぐれに人間にお与えになるものだと嘆息するしかない。

で、この本は、オランダの国立ゴッホ美術館所蔵の、有名なあるスケッチを巡る考察。このスケッチはアルルに滞在していたゴッホが、名作「アルルのゴッホの寝室」を製作中に、弟テオに絵の説明のために手紙と一緒に送ったとされるもの。同じ構図でゴーガン宛に出した別のスケッチも存在しているのだが、「ゴーギャンスケッチ」や、本物の油絵と比較すると、明らかにこのスケッチはゴッホの描いたものとは思えない。

本物と「ゴーギャンスケッチ」には透視図法が使われており、ベッドや壁の延長線がとある一点に収斂して行くのに、「国立ゴッホ美術館スケッチ」は、遠近法と透視図法がデタラメで明らかにシロウトの作であること。

当時のゴッホの寝室は矩形の部屋で、ベッドと後ろの壁は実は平行ではなく、本物の絵と「ゴーギャンスケッチ」ではよく見るとそれが分かるのに、この「贋作スケッチ」では、そう書かれていない。それは贋作の作者がそれに気付いておらず、明らかに実際の部屋を知らなかったからではないか。

ゴッホは透視図法だけに拘らず、近くの物体の存在感を出すために大胆な構図のディフォルメと視点の変更を行っているのに、「贋作スケッチ」にはその迫力と構成力がまったく見られない。

などなどの発見を、画家でもある著者が、自ら説明図を書き、後世に残ったゴッホのさまざまな書簡を引用していて緻密に立証してゆくのだが、これがまるで上出来のミステリーを読んでいるようで実に読み応えがある。

もっとも、このような画家の目で見なくとも、シロウトが見ただけで、明らかにこの「スケッチ」は本物とは何か違うのである。しかし、このスケッチが、美術史の上で当然のようにゴッホ作の「本物」とされ、誰も疑いを持たなかったのには、実は「ある理由」が存在する。

そして、その「理由」こそが、ゴッホ自殺の真相を解き明かすカギである、というのがこの本の後半部分、実に面白いところであって、今となってはその真相を証明することは難しいが、その推論は傾聴に値すると思う。


誰からも省みられず、もう絵を書けないと分かった時点で死を選ばざるをえなかったゴッホの生涯は悲痛である。しかし、ひろしま美術館所蔵の「ドービニの庭」には、死を覚悟した後にたどりついたゴッホの心境が描かれているのだと著者は言う。人生の最後に到達した、澄みきった諦観と残されるものへの穏やかなメッセージをその絵に読み取れるのだと。

この本の口絵にあるその絵には、初夏の風の中に明るく光る、澄みきった静寂な風景が描かれている。