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1999/07/11「墜落!の瞬間」

で、今日は出かける予定だったが、電話があって取りやめ。小雨もぱらつく辛気臭い天気だし、また部屋でゴロゴロしていることに決定。昨日から読んでいた、「墜落!の瞬間」(マルコム・マクファーソン編/青山出版社)読了。

これは実際に墜落した飛行機から回収されたボイスレコーダに残された墜落の瞬間までの音声記録を本にしたノンフィクション。だから作者は無く、「編集」となっているんだな。

飛行機事故の原因は実にさまざまで、中には、はっきりと原因が確定していないものもあるが、特に整備不良などで飛行計器が狂った時の事故の記録は悲惨だ。長年訓練を積んだパイロット達でさえ、いとも簡単に混乱して、速度や高度の設定を誤り、失速したり、地面に激突したりしてしまう。

大部分の例では、おそらく最後の瞬間まで、いったい何が起こっているか分からずに、ただ必死に飛行機をコントロールしようとする状況だけが伝わってくる。自動車ならすべてのメーターが壊れても、運転するのは簡単なことだが、三次元の空間を飛ぶ大型航空機の操縦に、いかに高度計や速度計が大きな役割を果しているかが分かる。

しかし、実際の記録を読んで一番驚くのは、結果として墜落して全員死亡した終末的事故であっても、多くのパイロットがパニックに陥ることなく、激突や失速を回避しようと、録音が切れる最後の瞬間まで努力している様子で、訓練を積んだプロとは言え、これはちょっと感動的でさえある。


特に印象に残ったのは、1989年のUA232便の記録。3万7千フィートの上空でエンジンが爆発したDC−10は油圧系統がすべて故障し、エンジンの推力だけで機体をコントロールせざるをえなくなる。

これは御巣鷹山に激突した日航123便とほとんど同じ戦慄すべき状況だが、ベテラン機長、アル・ヘインズは最後まで冷静さを失わず、不可能に近い状況でなんとか機体を不時着させ、111名が死亡したものの、185名が生還した。大事故ではあるが、本来なら全員死亡しても不思議ではない事故だった。

エンジン一基と操縦系の油圧をすべて失って迷走する飛行機。それをなんとかコントロールしようと奮闘する操縦席に、たまたま乗り合せた同じUAの飛行訓練教官、デニー・フィッチが状況を聞いて手助けにやってくる。挨拶の後、補助席についたフィッチと機長の会話が圧巻だ。

フィッチ「ひとつ提案させてくれ。全部終わったらビールを飲もう」

ヘインズ「そうだな、私は普段アルコールは飲まないんだが、特別に一杯飲もう」

これは映画のシナリオではない。墜落寸前の飛行機をコントロールしている操縦席でかわされ、ボイスレコーダーに記録された実際の会話である。どういう時にも軽口を忘れない、アメリカ人のフランクさと心根に秘めたガッツというものは尊敬せざるを得ないが、それにしても、飛行機の機長達には偉い奴がいるものだ。

トム・ウルフの「ザ・ライト・スタッフ」に出てくる伝説の操縦士、チャック・イェーガーを思い出した。