今日は夕方からのんびり散歩に出かける。帰宅してから、本日購入した「8時だョ!全員集合伝説」(居作昌果/双葉社)を読了。
題名をよく見て気づいたのだが、「8時だョ!」の「ョ」は、カタカナで小さい「ョ」が正しいようだ。ま、どうでもいいんだけど。はは。
で、この「8時だョ!全員集合」(←小さいョを打つのが面倒だな←だったらやめとけって)は、誰でも知ってるように、ドリフターズを中心にすえ、客を入れた劇場から生中継で、ドタバタコントとショーを見せる、当時では珍しいバラエティ番組だったのだが、TBS放送で1969年10月からスタート。1985年9月まで、なんと16年に渡って放送され、全盛期には視聴率が50%を超えたお化け番組であった。
この本は、当初からそのプロデューサーであった著者が、製作サイドから見た番組創世期からの苦労や思い出話をつづった本。
それにしても、書かれている色々な事件については、全然記憶に無いものも多い。最初から気づかなかったのか、だんだんと記憶が薄れているのか不思議だなあ。
荒井注の脱退と志村けんの加入はちゃんと記憶がある。これが1973年のことである。1971年に渡辺プロの横槍でいったん「全員集合」が中断し、クレージーキャッツがメインの「8時だョ!出発進行」が半年間放映されたことなんかは記憶にない。だいたい、クレージーキャッツについては、ちょっと年代が違って、まったく見た記憶がないような気がするな。
1970年7月に加藤茶が人身事故を含む自動車事故を起こし、謹慎した事件も、まったく記憶にない。まあ、考えてみれば、そんなに社会のことなんか気にする年でもなかったんだろう。
1981年に競馬ノミ行為で、この著者を含め、志村けんと仲本工事が書類送検されて、「全員集合」は一時3人でやっていた事については、なんとなく記憶があるような気もするが、この頃になると逆に「全員集合」なんて見てなかったな、確か。
ただ、残った3人が、いかりや長介、加藤茶、高木ブーだったから(ま、ブーは別にして<別にしてやるなよ)なんとか番組ができたのだろうけど、志村けんと加藤茶が送検されて、残ったのが長介と仲本工事と高木ブーだったとしたら、番組存続の危機だっただろうね。
この本では、他にも、TBSと渡辺プロとの軋轢や、スターになって、扱いづらくなっていったいかりや長介と著者とのぶつかりあいなども垣間見れて、なかなか興味深い。もっとも著者にしても、当時は日本一の人気を誇った番組のプロデューサーであって、札ビラ切って、酒と女でブイブイ言わしてたに決まってるのだが、そこらへんはちっとも書いてないな。ま、著者の特権という奴か。 しかし、全盛期に視聴率が50%超えてたというのは驚異的数字だ。もっとも、その前はコント55号がそうだったし、コンビ解消してからの萩本欽一も一世をフウビしたものなあ。そして、マンザイブームがあって、ビートたけしの独壇場になるわけだが、お笑いの世界にも、栄枯盛衰は必ずやってきて、盛者必衰の法則は、平家物語の昔も今もちっとも変わっていないのである。 |