MADE IN JAPAN! 過去ログ

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2000/06/26 ハガキを入れちゃダメ! / 生まれて初めて歌舞伎を見る 

昨日の午後は衆院選挙の投票に。徒歩2分の小学校だからたいへん便利。案内ハガキのチェックを受けて、まず小選挙区の投票を済ませる。

私のすぐ後に、ヨボヨボのジイサマが投票したのだが、投票用紙と一緒に案内ハガキも投票箱に入れようとする。それを見つけて、座っていた立会人3人があわてて立ちあがって、「あ〜、ダメダメダメ〜!」、「そのハガキは入れちゃダメ〜!」と止めている。

ジイサマは口々に言われて動転したか、今度はハガキを丁寧に2つに折って、なおも投票箱に入れようとする。「違う〜〜!」、「ハガキは入れちゃダメ〜〜!」と立会人が必死で止めるのだが、机を間に置いて座ってるものだから、すぐ横に行くわけにもゆかず、なかなか難儀なことであった。

結局、ちゃんと投票できて一件落着。この投票所は、まず最初に投票ハガキと選挙人名簿をチェックした後、そのハガキを持って小選挙区の投票を行い、次の担当がハガキを回収し、比例代表と国民審査の用紙を渡すという段取りになっていた。

何年に一度のことだから、誰もダンドリなんて覚えていない。特にご老人は、いきなり手順を聞かされても戸惑うだろうし、急かされると、普段はちゃんとできることでも上手にできなかったりするものである。ま、最初の投票者チェックの時にハガキを回収してしまうなり、もうちょっと分かりやすい順路を考えたほうがよかったかもしれない。全国津々浦々では、結構間違えてる人もいるんじゃないだろうか。


3時過ぎに部屋を出て地下鉄で銀座まで。歌舞伎座に着き、電話予約したチケットをゲット。申し出たらちゃんと領収書をくれた。はは。玄関前で待ってると、ハイヤーでM嬢が到着。

4時の開場、4時半の開演だが、中に入ってみると結構混雑しており、英語用のイヤホンガイドを借りたり、地下食堂での食事の予約をしたりしてるとあっという間に開演時間。1階中央の7列目だったが、なかなか見やすい席である。

退屈で眠くなるのではないかと思ったが、無用な心配だった。イヤホンガイドの助けは借りたが、さすがに何百年もやってるエンターテインメントだと感心する部分が多い。

例えば、「義賢最後」で、敵に追われた立ち回り。義賢が舞台そでに引っ込んでしばらくあり、舞台後ろの幕が突然バサっと落ちると、その向こうの書き割りで、大座敷が奥に広がっており、血だらけになって、源氏の旗を守って獅子奮迅で戦っている義賢がいきなり見得を切って現れる。

義賢の前には整然と並んでひっくり返った平家の兵隊。これは決してリアリズムではない。逆に予定調和のような整然とした様式美である。しかし、思わずドキンとするほど迫力がある。リアルでないリアル。歌舞伎の不思議だ。

その後も、「戸板倒し」「仏倒し」のようなアッと驚く場面を堪能。食事休憩後の「縮屋伸介」では、松本幸四郎が、妖刀村正に魅入られて、憑かれたように殺人を繰り返す狂気を演じる。これも、なんだか背筋が寒くなるほどのスリラーといってよいだろう。

脚本がそもそも古いだけに、主従の忠義や、親子の情や、男女の恋愛のモツレなども、定型的ではあるが、誰にでも分かるオーソドックスなドラマだけが淘汰されて現代に残されたという印象。シンプルかつ力のある筋書き。

文楽からの影響もあってか、衣装も化粧も表情も、そして動作すらも徹底的に様式化されており、シロウトから見ると、そういう「形」だけが、ただ珍しさゆえに印象に残る。しかし、年期を積んだ見巧者になればなるほど、印象に残るのは、そういう自明の「お約束」の部分ではないだろう。

歌舞伎に慣れるほど、逆に、ストーリーに込められた、純粋なドラマやエモーション、そして俳優の巧拙や、演者独自の解釈による演出を比べるといった、ディティルの部分だけが、鮮やかに浮かび上がってきて、さらに心に染み入るという具合になってるのに違いない。歌舞伎も、真剣に見始めると、なかなか深みにハマりそうで怖いな。

ひとつだけ違和感があったのは、いわゆる「大向こう」からかかる「かけ声」か。歌舞伎俳優は家系によってそれぞれ固有の屋号があり、ミエを切る段になると、「成田屋!」とか「高麗屋!」と観客から声がかかる。

そういう点は常識として知ってたが、朗々としたオッサンの渋い声で、3階席から聞こえるのかと思ったら、やたらにカン高いひ弱そうな若い男性の声が、大向こうではなく、1階席のあちこちから殺到する。

あれは若い「歌舞伎オタク」だろうか。初日や楽日に行くと、年期の入った本格派のファンが多くて、また印象が違うのかもしれないが、いつもあんな具合だとしたら、ずいぶん想像してた印象と違う。

すべて終了して歌舞伎座を出たのが夜の9時過ぎ。玄関前でタクシー拾い、ホテルまでM嬢を送る。英語イヤホンガイドのおかげか、たいへんドラマチックであるとしきりに感心してたので、連れていった甲斐があった。

帰宅してから深夜まで、TVの選挙速報に見入る。投票しなかった有権者を含め、自公保政権を無条件で信任する有権者がこんなに多いとは驚くほかはないが、それはそれで民意として納得するよりしかたない。


2000/06/25 「風紀を乱してきた」歌舞伎についてのドロナワ的勉強

昨日はちょっとネットで歌舞伎座のページやら歌舞伎ファンのページを検索。アメリカ人を歌舞伎座に案内するのに、日本人の私が何も知らないというのもまずかろうと、ちょっと予習など。ドロナワですな。はは。

歌舞伎座の公演は昼の部と夜の部に分かれているが、夜の公演は、4時半からだいたい9時くらいまで。オムニバス形式で、3本の劇(と呼ぶのか?)が上演されるらしい。6月の歌舞伎座公演夜の部はこういう具合。

1.源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)(義賢最後)
2.道行恋芋環(みちゆきこいのおだまき)(妹背山婦女庭訓)
3.八幡祭小望月賑(はちまんまつりよみやのにぎわい)(縮屋新助)


それにしても、題名の読み方が難解だ。別名がついてるのは、正式な名称と通称があるのだろうか。

館内で、日本語と英語のイヤホンガイドを借りると、所作や見所の解説が聞けるらしい。M嬢用には英語のを借りたほうがいいだろうなあ。幕間の休憩時間は30分しかない。歌舞伎座内の食堂を利用するなら、事前に劇場内で予約しなければならない。

弁当やサンドイッチなんかを買って座席で食べてもいいようだが、アメリカ人連れだと、いったいどうしたもんだろうか。席でビールなんか飲みながら見てもいいのかね。桟敷席というのもあるようだが、そっちは相撲と同じで飲食可能なんだろうか。ま、でもポップコーンなんかは映画じゃないから置いてないよなあ。

他にも歌舞伎ファンのページをあれこれ検索したが、歌舞伎の歴史や常識について、もうちょっと調べるかと、ROXの本屋で「なるほどシリーズ 歌舞伎」なんてのを買ってきた。

歌舞伎の原型は、出雲の阿国が京都の川原で始めた念仏踊りだというのは、さすがに歴史にウトイ私でも学校の日本史で習った気がする。それが評判になったので、多数の遊女が参入して、ストリップまがいのショーをやるようになったので風紀を乱すとして「女歌舞伎」は禁制に。

次には、少年が演じる「若衆歌舞伎」が流行った。ま、ジャニーズみたいなもんですな。<オイ。しかし、これにも好色な男女が群がって、風紀を乱すとしてご禁制に。結局、成年男性だけでやる「野郎歌舞伎」のみが許され、これが現在に伝わる歌舞伎の原型である。こういう細かい事情は知らなかったが、こんな事まで教科書に書いてあったっけ。

江戸時代にも、「江島生島事件」といって、大奥の女官と若手歌舞伎役者が、桟敷席で「いかがわしい」ことをしていたとして罰せられた事件があったらしい。歌舞伎の歴史というのも、ずいぶんと「風紀を乱してきた」歴史である。ま、もともと芸能の本質というのは、どこか人間の根源的な欲望に直結するものであるということがよく分かる話ではあるが、そういう面では、現代の歌舞伎は、ずいぶんと枯れてしまった。

ま、だいたいの歴史が分かったのはいいが、さて、これをアメリカ人女性にどうやって説明するか。英文のパンフレットでも売ってたらそれを購入して、聞かれないかぎり説明しないほうが無難だなあ。

演目に関しては、市井の庶民の生活に題材を取ったもののが「世話物」、武家階級を題材にしたのが「時代物」、女形が出ない江戸で流行った「荒事」などの種類があり、現在の歌舞伎座の公演のように、ひとつの長い話のなかから、有名な幕だけを選んで上演するのを「みどり狂言」というらしい。

顔の化粧の色が白いのが高貴、善人のイイ役だとか、大向こうからのカケ声の種類だとか、人形浄瑠璃から演目を多く取り入れているだとか、漢字ばかりのタイトルは、なぜ奇数が多く難しい読みが多いか、などの歌舞伎の基本的な解説を興味深く読む。さすがに長年続いている伝統芸能だけあって、様式美の世界であるが、外国人に説明するのは困難なものばかりだ。やはり英語のイヤホンガイドに頼るしかないかなあ。

さて、天気は悪いが、昼飯前に、ちょっと選挙の投票に行ってくるか。投票率はどうなるかねえ。


2000/06/24 歌舞伎を見にゆく話 / 1票の格差を合憲とした裁判官にXをつけよう

夕方から、アメリカから来たM嬢の週末アテンドの打ち合わせ。土日は課の若手が鎌倉と葉山を案内することになっているのだが、本人は歌舞伎が見たいという。歌舞伎座に確認すると、26日までは公演があるが、その後はしばらくお休みなんだそうだ。ま、確かに年がら年中やってるもんでもないよなあ。

日程を調整して、結局、明日の夕方に私が案内することになってしまった。面倒だなあ。実は私も歌舞伎なんて見たことない。値段を聞くと、一等席が1万4千円。2名分払うから、2万8千円。領収書はちゃんとくれるだろうか。それにしても、ムヤミに高い。

夜は部課長で、6月人事異動で転属した5名の歓送迎会。会社近くの四川料理の店。木曜のブラジル料理は、肉中心で結構胃にもたれたので、あんまり食欲無し。うちの部長はブラジル駐在の次は香港勤務だったので、中華料理にも詳しい。まあ、こっちはメニュー選ぶ手間がはぶけて助かった。

イカの唐辛子炒めとオコゲ料理がなかなか美味なり。生ビール飲んだあとは老酒に切り替えてあれこれ歓談。


部長は一次会で帰ったが、残りのメンバーで、これまた会社近くの鮨割烹の店に場所を移して二次会。鮨割烹なんていうと聞こえはいいが、以前はカラオケスナックやってたオバチャンが店替えをして、鮨割烹を名乗ってるだけの普通の居酒屋である。鮨を握るのもオーナーのこのオバチャンだが、アル中の気があって、いつもグラグラに酔っぱらっている。この季節は、ここでだけは生物食いたくないなあと思わせる店である。<だったら行くなよって。

ここでは焼酎水割りのんで酩酊。11時半には散会して地下鉄で帰宅。朝は選挙カーのうるさい連呼で起される。そういえば、もう明日が衆議院選挙の投票日だ。新聞では自民党有利は動かないとの分析が多いが、どうも信じがたい。オットセイ森首相の言うように、ずっと眠りつづける人がそんなに多いのだろうか。思うに、都市の給与生活者にとっては、自民党に投票するメリットなんぞ何もないと思うのだが、田舎の組織票には勝てないよなあ。

そうそう、明日は衆議院選挙と同時に最高裁判所判事の国民審判も行われる。ネットでこういうサイトを見つけた。裁判官国民審査で、1票の格差を合憲とした裁判官に「X」とつけようと訴える意見広告だが、まったく同感。

最高裁判所の判事にまで上り詰めたジイサマにとっては、1票の格差は政治が解決する問題ということなのかもしれないが、最高裁で合憲とお墨付きを与える判断そのものが、きわめて守旧的かつ政治的で、1票の格差の温存をずっと政治に許してきたのだ。ま、今回はちょっと真剣に考えてXをつけることに決めた。どっちにせよ、解任なんぞにはならないのは分かりきっているのだけどなあ。