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2000/10/24 茶坊主とワールド・スタンダード 


月曜日は、午後から部下と上期の目標管理の面接。1名30分で、とりあえず半数の5名と面談終了。適当に査定する管理職も、もちろんいるだろうが、私はある程度厳格に細かくつけるし、本人にも点数は公開して、良いところや悪いところはできるだけ説明し、本人の意見を聞くようにしている。自分が課長から査定される身だった頃を考えると、毎期毎期黙って適当に同じような評価がされているというのは、どうにも納得できなかった記憶があるから。

もっとも、日本の企業の人事評価制度は、アメリカなんかと比べると依然として秘密主義の部分が多くて、上司が適当に査定つけても、部下は結果の金額で知るだけというところが多いんではないだろうか。人が人を評価するというのは本当に難しい。

実力主義による人事評価制度に移行したなどという会社の話を聞くこともあるが、個人的には、ああいう「実力主義」なるものが、本当に実効があるか疑問に思っている。今までの日本には、人事の評価を、される側にも公開して折衝するという風土は定着していない。せいぜい新しいもの好きの社長がいる中小企業でやってる程度である。

そういう中で、人事評価の客観性を担保する手段のないまま実力主義に移行すれば、ゴマスリ野郎や茶坊主の査定が今までより更に上がるだけという気がする。人間は、地位が上がってワンマンになるにつれ、まず例外なく手をすって寄ってくる茶坊主を愛好するようになる。哀しいかな、どんな組織の歴史を見ても、これが真実だ。

そういう面では、年功主義にも、ある程度の意味はある。

仕事は人一倍できるわけではないし、同期より昇格は遅れてるが、人柄はよくてみんなの邪魔にはならない。上司にゴマをする要領はないが、仕事も腐らずにまあまあ真面目にやっている。そういう人でも、妻子があって生活があるのだから、長く頑張ってれば、そこそこの収入を保証してもいいではないかというのが、今までの日本の企業の温情であり、いいところであった。

実際問題、これにも一理ある。日本は転職がそれほど盛んでなく、労働市場での人材の流動性に欠ける。そこにアメリカ流の厳格な実力主義を導入し、やってる仕事の分しか給料を払わないということになると、中高年層では(いや別に若い層だって同様だが)、それこそ給料が半分以下になるが転職は難しい。悲惨なことになる人が大量に出てくるはずだ。

会社ではウダツの上がらないオヤジでも、郊外電車の終電がつくところから、さらにバスに乗って着くような場所には庭付き一戸建てが持てて、子供もちゃんと身奇麗な格好をして金の心配をせずに大学に通っている。オヤジのスネはガリガリだけど。何十年も前から、一億総中流の日本は、そういうことが当たり前の世界だったが、もしも本当に企業の人事評価が厳格に実力主義になるのなら、これが劇的に変わる。

収入が上がってゆくのは、社員のなかでもひと握り。年功序列は廃止されて、昇格しなければ何年やってもずっと同じ給料。嫌ならば、転職して新しい道を選ぶしかない。社宅や社員への住宅融資制度なんてものも、将来は無くなってゆくだろう。会社での評価が低ければ、家を買うなんて夢のまた夢。奥さんが自己実現の為に働くというより、夫婦共働きでないと生計が立たない。子供が大学に通いたいなら、自分で働いて自分の金で行ってくれということになるだろう。

今までの日本に慣れてると、なんだかとんでもない世界のようだが、実はアメリカの中流の下、あるいは下流の上のクラスの暮らしぶりというのは、たいていそんなところである。きらびやかなアメリカン・ドリームの陰にあるのは、能力の無い者は、悲惨な生活でもしかたないという、非情な割り切りと敗者をclassificationしてゆく思想だ。今後の日本企業が、まだまだワールドスタンダードと称するアメリカ化を進めるのなら、(そしてそういう可能性は大いにあるのだが)、多分そういう世界に日本はなってゆくだろう。

なんだか先行き暗いような話だが、しかし、日本の風土からすると、まだまだ楽して生き残る道はある。それは、いわずとしれた「茶坊主の王道」である。アメリカの企業でも、上司へのゴマスリは普遍的。まして、弓削の道鏡や千利休の歴史を持つ日本においては、さらに然り。どうせ日本流ワールドスタンダードなんだから、最後の勝者は、意外にゴマスリ命の茶坊主ということだってあるかもしれない。

ということで、そろそろ茶坊主になる段取りも考えとかないとな。<ドラクエの転職の神殿でもあるまいし、そんな一朝一夕で茶坊主になれるかっちゅーの。