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2000/10/31 国民栄誉賞と「勲章」について考える

日経を読んでると、シドニーで金メダル取ったマラソンの高橋尚子選手に国民栄誉賞授賞の記事。歴代最年少だろうなと思ってネットで調べると、ちゃんと総理府のページに、国民栄誉賞受賞者一覧なんてものがある。

こうして一覧を見ると、なかなか不可思議な人選だ。柔道の田村亮子が貰えなかったのは、オリンピックではマイナーな柔道と、花形であるマラソンのメダルの重みの差と思ったが、男子柔道の山下泰裕は、ちゃんと国民栄誉賞貰ってるものなあ。

実際のところ、この賞は、内閣の人気取りのため、ホームラン世界記録を樹立した「世界の王」を表彰しようと、1977年当時の福田総理大臣のツルの一声で決まったから、そもそも、その次はどういう人に授けるかなんて先のことは初めからロクに考えてなかったのである。

案の定、その後も、歴代の内閣がその場限りの思いつきでバラ撒いてるから、受賞者に整合性が無いのも当たり前。賞の性格について、あんまり真剣に議論できるようなシロモノではない。

しかし、そういう事情を斟酌しても、あれこれ疑問のある選考である。相撲界で千代の富士が受賞するなら、なぜ不世出の大横綱、大鵬が外れてるのか。最近の活躍に限るということなら、長谷川和夫や藤山一郎は、いったい、いつ活躍したのかと聞きたくなる。

プロ野球なら、衣笠が受賞して長嶋は貰っていない。連続首位打者という記録の偉大さでは、イチローだって権利があるんではなかろうか。

漫画界で長谷川町子が入ってるなら、どう考えても手塚治虫が貰ってないのが不思議だ。貰った人でも、第13回受賞の作曲家、吉田正ってのは、さっぱり知らない。誰なんだろうね、この人は。

俳優で渥美清が貰ったのなら、石原裕次郎や笠知衆にあげてもよかった。そういえば、落語界の人はいないが、人間国宝、小さんや米朝にお迎えが来るのを待ってるのか。<オイッ!。

全体を通して、死亡者に賞をあげるのか、生存者がメインなのかの定見が定まらずに、フラフラしてるのも賞の性格を一層あいまいにしている。

その点では、いわゆる「勲章」、褒賞や叙勲のほうが、一応、年功や前例や公職歴などを厳格に公課して、総理府の叙勲局が毎年選考しているのだから、公平と言えば公平だ。基本的に生存者受賞のみ。

もっとも叙勲や褒賞についても多いに改善の余地がある。よく、勲章の位が、「官高民低」と文句が出るが、考えてみると、「勲章」というのは、国家や公共に尽くした人に国が贈る勲章なんだから、戦争でもない限り、その対象は、いわゆる「公職」についている公務員や政治家だけで十分だ。

在野の財界人なんぞは、いくら大企業のトップと言えど、所詮は金儲けが仕事。仕事を通じて社会に貢献しました、なんていうのは、後からつけた理屈であって、彼らはその報酬をすでに会社からさんざん貰っている。勲一等ナントカ章なんて貰う必要はないと思うなあ。しかし、財閥系の重厚長大企業には、会長に勲章取らせるプロジェクトなんてのもあるらしい。

変に民間人も勲章の対象とするから、70や80のジイサマが、叙勲まではとムリに頑張って地位に居座ったりする。あちこちの大企業で老害が起るのは、叙勲制度にも問題ありだ。民間人を対象にするのは即刻廃止して、与えるのは「官」と「政」だけ。新聞発表も行わず、叙勲の知らせも官報だけに載せることにしたらどうか。

こういう改革は意外に簡単で、政府がチョロっと決断すればそれで決まるだろう。「官」も「政」も、自分は貰えるんだから別に文句は無し。勲章欲しさに地位にしがみついていた財界のジイサマ方も、「行革」なんて高邁なことを唱えてる手前、自分が貰いたいからと、反対の声を上げるわけにもゆくまい。そうすると「民」のほうも反対無し。

小さな政府、少ない勲章。叙勲関係の予算も人員も削減できて、行政改革にもなる。財界もトップの若返りが進んで、実に結構なことである。いいアイデアだと思うんだが、誰か断行してくれる政治家はいないもんだろうか。