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2001/03/17 どうもケチケチするものがある。

一昨日の日記で、「コーラン」のことを書いたので、ちょっと本棚から引っ張り出してきて、また拾い読みしている。訳者の井筒俊彦氏の解説がなかなか要領よくまとまっていて読みやすい。

YESさんも書かれてたが、「コーラン」はどういうわけか、基本的に後の時代の啓示から、初期の時代の啓示へと反対に並んでいる。ごく初期の啓示は、岩波の解説を引用するなら、「いずれも10句、20句の短いもので、全体に異常な緊迫感が漲り、謎めいた言葉がまるでちぎり取られた岩石の固まりのように力強く投げ出されてゆく」ものである。もっとも古代の文献が常にそうであるように、単純に歴史と逆になっているわけではなく、後代の編集によって、それぞれの章にはさまざまな層が混在しており、最終部分にも、かなり後の時代の啓示がまぎれこんでいる。

それにしても、ごく初期の啓示(つまりコーランでは最後のほう)、ムハンマドが40代にして初めて神の声を聞いた時代の短い章には、なかなか幻想的な迫力を持ったものが多い。それぞれの章に、神懸りになった砂漠の民の「聖なる狂乱」、聞く人の魂を凍らせるような神秘と恍惚が感じられるのは事実である。一番印象に残った章を引用しておこう。

第82章 裂け割れる(メッカ啓示)

慈悲ふかく、慈愛あまねきアッラーの御名において…

大地の裂け割れる時
星々の追い散らされる時
四方の海、かたみにどうと注ぎこむ時
すべての墓があばかれる時
どの魂もおのが所業の結末を知るであろうぞ、
したことも、し残したことも。

(中略)

ただしき信者は至福の園に
極道者は火の釜に
裁きの日には丸焼きとなり
抜け出そうとてそうはいかぬ

裁きの日とはそもなんぞやとなんで知る
ささ、裁きの日とはなんぞやとなんで知る
誰もが誰の面倒みてやれようもない日
その日こそ、すべての主権はアッラーの御手に
こういう言葉が、神懸りになって震える預言者の口をついて出たら、まあ、回りで聞いていた者にはさぞや恐ろしい体験であっただろう。もっとも、ムハンマドの口から出る言葉は、信者が増えて行き、教団が大きくなるにつれて、どんどん初期の神秘的な緊張感が薄れ、まのびして、俗世間的になってゆく。「あれはムハンマドが神の言葉と偽って自分に都合のいいことを勝手にしゃべっているのだ」と当時から批判があったことは、その批判に対する反論が執拗に啓示に現れていることでも知れる。

「第47章 ムハンマド」の最後には、こんな言葉がある、「これ、そこな者ども。お前らはアッラーの道に財産を出すよう申しつけられておる。だが、どうもケチケチするものがある。そんなにケチにしてみても、結局自分がかえって損をするだけ。本当はアッラーは何ひとつお要りではない。要るのはお前たちのほうではないか。」と寄進をケチる信者を叱り飛ばす部分。

なんか、どうも初期の啓示と比べると、創価学会の「財務」みたいというか、福永法源「法の華」の説法というか、オウムの金集めというか、なんだか堕落したような印象を持つわけである。コーランを後ろから歴史順に読んでゆくと、時代を追って、アッラーの啓示が現世間的、俗物的になってゆく様子がはっきりと読んで取れる。歴史順に並んでいると、どうも都合が悪いというのも、編纂順序がああなった理由かもしれないなあ。