先週の水曜から始めた禁煙も、とうとう今日で丸1週間。まだ1本も吸ってない。とりあえず禁煙の第一段階は成功か。ニコチンもすべて体内から抜けたような気が
する。エライ!<自画自賛。ハハハ。 ただ、今まで必ずタバコを吸ってたような状況になると、頭に刷り込まれた喫煙習慣というものが、いまだに時折、頭をもたげてくる。ま、これは、ニコチンによる肉体的な禁断症状というよりも、心理的な禁断症状と言うべきだろうか。 「禁煙セラピー」を読んで、突然タバコ止める気になったのだが、実はこの本には、大して目新しいことが書いてあるわけではない。 「禁煙しても、失うものは何もない」。自明のことではあるが、ちゃんと本に書いてあると、禁煙を実行する時の不安がかなり減じる。この本が持ってるのは、そういう効果である。 しかし、禁煙して1週間になると、街角でタバコ吸ってる奴を見ると、「ああ、こいつらも、タバコの奴隷になって止められないのか、気の毒に」と、覚せい剤中毒者やヘロイン中毒者を見て同情するかのような気分になってくるのが、実に不思議。妙な優越感と呼ぼうか。 ま、もっともこっちだって、気を許して一服でもしたら、アッと言う間に元の木阿弥で、同情される中毒者に逆戻りという運命なのではあるが。ハハハ。 タバコを止めて一番の効果というと、物の味が以前よりはっきりと分かるようになったことだろうか。何を食べても、以前より美味い。前回の禁煙時にも、これは経験済みだ。 一昨日、銀座の新富寿司に行ったが、ちょうど旬のコハダの新子やスミイカの新子の、ほの甘い滋味がはっきりと分かる。夏場のマグロは大したことないのだが、それでもなお、中トロを頼めば、脂身の濃厚さと同時に、マグロの肉自体のもつ渋みとコクが感じられる。カンパチやスズキといった夏場の白身も、アジも、軽く酢で締めたカスゴも、実に結構であった。 タバコ吸うというのは、ひっきりなしにニコチンやタールを舌にスプレーしてたようなもんだから、禁煙すると味がはっきり分かるのも、当たり前と言えば当たり前だ。寿司屋のカウンタでタバコを吸うのは馬鹿というのは本当である。<お前がつい最近までやってたことやっちゅーの。 もっとも、美味い美味いと食べ過ぎると、太るという副作用もあるんだなあ、禁煙には。注意しないと。 スティーヴン・キングの短編に、金を払って加入したら最後、どんな手荒な手段を使っても、加入者の喫煙を止めさせるという、やり過ぎの恐ろしい禁煙支援会社を描いたものがあった。要するに契約した後には24時間監視がつき、隠れてタバコ吸ったことが分かると、加入者の子供やら配偶者やらに厳しい罰があるというお話なのだが、この過剰なまでのサービスは禁煙に成功してからもアフターサービスがついてくる。たとえ禁煙しても、標準体重を超えたら大変なことになるという、なかなか恐ろしい話であった。 |