高校の同窓会の案内がメールで送られてきた。新年3日に神戸でということだから、残念ながら、ちょっと参加できそうにない。ここ数年、だいたい年末は、九州かオーストラリアに出かけていたのだが、今年はオーストラリア行きの飛行機が押さえられず、東京で年越し予定。 メールに添付されてた同窓会名簿を見ていると、リストの最後には、すでに亡くなった同窓生の名前が列挙してある。 学年全体で同級生は、およそ450人。物故者は、そのうち、すでに7名。先頭に名前があるのは、卒業寸前、共通一次試験の当日の朝、自宅マンションの屋上から飛び降り自殺をして、自らの命を絶った女性だ。当日の受験会場で、お昼の休憩時に同級生が走って来て、彼女の自殺を知らせ、また慌しく去っていったのを、今でもはっきりと覚えている。そして、彼女の死を悼む間もなく、数式とマークシートにまみれた午後の試験に突入していった事も。 大学時代に病気で亡くなった女性もいたし、神戸の震災でも2名が亡くなっている。そして、物故者の最後に書かれているのは、私自身も小学校から高校まで同期だったT。破天荒な生き方をしてた奴であったが、一昨年の年末、アジアの某国で何者かに刺し殺されて亡くなった。おそらく、何か危ない商売に手を染めてたのではないか。成仏してくれてればいいが。 こうして見ると、普段はあまり実感のない「死」も、案外に身近な人々を時折連れ去っているのである。 それにしても、同窓会名簿の職業欄を見ると、医者になるだろうなという奴は医者になってるし、お役人になってるのは、いかにも昔からお役人みたいな奴が多い。学者になってるのも、いかにもと頷ける。ま、三つ子の魂百までというか、高校生くらいになると、まあだいたい残りの人生がどうなるか、一応の印象ってもので、だいたい判別できるという気がするな。 そうそう、誰にも住所知らせず音信不通になってるのも、これまた、いかにも音信不通になるだろうなと、今にしてみればうなづける奴ばかりだ。ま、不思議というか当然というか。ははは。 |