昨日の夜は、中学校の同級生、N君と、ひょんなことから20年ぶりに連絡がついて、新橋で飲み会。ずっと会ってなくても、待ち合わせ場所では、すぐにお互い当人と分かる。ははは。 アメリカに5年いた間に、不精してたから、結構いろんな連絡先を失ってしまったが、大学や高校に比べて、中学の同級生というのは、連絡つかなくなる確率が高い気がする。うちの中学校は学区が広く、生徒の住所は、神戸から西宮まで広がっていたから、卒業してしまうと、どうしても西宮方面組とは疎遠になってしまう。 オヤジの街、新橋にしては、ちょっとしゃれた串焼き屋で、積もる話を色々と。 神戸の大震災の時、彼の家族は、倒壊した阪神高速から徒歩1分ほどの浜側マンションに住んでいたのだそうだ。 信じられないような揺れが収まって、外を見ると、いつも高速道路があった場所にポッカリと六甲山が見えて、最初は何が起こったか分からなかったこと。空のあちこちが、見たこともない放電現象で不気味に光っていたこと。風呂にためてあった水が、脱衣所を通りぬけて廊下を水浸しにするほど揺れたこと。なにはともあれ外に出て、あちこち倒壊した街を見た時の非現実感。あれこれと恐ろしい体験を聞く。 うちの親父も、地震については、「あれは経験したものでないと分からない」と言って、ほとんど話そうとしないのだが、とんでもない体験だったということだけは、つくづく分かる。 懐かしい友人達の消息も、あれこれと突き合せ、思い出話は尽きないが、日本酒も結構回ってきた。早いうちにまた飲むことを約して、適当なところでお開き。いや〜、懐かしかったなあ。 |