関東他、各地で春一番が吹いたとか。たしかに午後はまるで台風のような風。 ビートたけしのこんなはずでは「2時間まるごと映画スペシャル」を眺める。タイタニックのセットは接岸側を逆に作ってしまったためフィルムを裏焼きにした。座頭市映画がブルース・リーに影響を与えていた。オードリー・ヘップバーンとジュリー・アンドリュースのライバル関係など、ま、映画版、一種の雑学「トリビア」であるが気楽に見れてなかなか面白かった。 「猿の惑星」の原作小説を書いたピエール・ブールは、第二次大戦の時東南アジアで日本軍の捕虜になっており、その体験から「戦場にかける橋」の原作も書いている。「猿の惑星」は「戦場」とは表裏一体の関係にあり、「猿の惑星」に出てくる猿は日本人を戯画したものだという。 確かに、映画版「猿の惑星」には黄禍論やら有色人種の人口増大に怯えるアメリカ白人の根源的恐怖が投影されているという論調は見かけたことがある。試みに手元にあった「<映画の見方>がわかる本」(町山智浩)をチェック。確かに、ブール原作が日本人をモデルにしていること、映画化脚色を行ったロッド・サーリングは、アメリカの黒人差別問題をこの映画に投影しようとしたことが書かれてある。ひょっとするとこの本がネタ元か。そういえば番組のヒッチコックの部分は、トリュフォーの「ヒッチコック 映画術」に書いてあるそのままという感じであったが。 先日、オリジナルの「猿の惑星」がTV放映されたのだが、見ていると、猿が人間を差別する態度は、いわゆるアメリカの人種差別主義者の態度そのままを戯画していることが分かっておもしろかった。「人間にはそもそも知能がない」、「神様がそう創られたのだ」、「猿こそが世界の支配者だと聖書にもそう書いてある」などなど。 上記の本によると、猿の役にはイギリスの俳優が当てられ、汚い米語で怒鳴り散らす「白人代表」チャールトン・ヘストンが野蛮で、次第に「猿」のほうが高尚に見えてくるような仕掛けもあるのだとのこと。後に全米ライフル協会会長となるようなマッチョ・アメリカ白人の代表、「十戒のモーゼ」が文化的に進んだ「猿」に痛めつけられるというところがこの映画の優れたアイロニーであった。なるほど。 有色人種はもともと知能が低いのだと、大真面目に証明しようと努力した白人科学者も昔は大勢いた。差別の科学史を扱った「人間の測りまちがい」という本にはそんな例がズラズラと。猿の惑星の猿は実に人間社会をきっちり反映していると、ま、今更ながらに嘆息できるのであるが。 |