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2005/01/05 厄除けに川崎大師まで。

昨日が初仕事。朝の地下鉄はずいぶん空いている。5日から営業の会社も多いんだな。休み明けはやはり調子が出ないのであった。

夕方から新年の厄払いに例年のごとく川崎大師へ。2万円の大護摩を申し込むと待合室に案内されお茶が出るのも例年通り。本堂内の席も一段高いじゅうたん敷き。自分の靴を入れたビニール袋を持って板の間にギッシリ押し込まれて座るエコノミー・クラスとはだいぶ差がある。

護摩修法が始まる際に案内された本堂内の席は太鼓を叩く僧侶のすぐ後ろ。いざ法要が始まると、ドンドカ叩く太鼓に迫力あり。ここ何年も毎年正月に来てるが、今年が一番よい席だったかもしれない。もっとももう一段上に特別大護摩ファースト・クラスが存在するのであるが。

護摩壇の前に座った導師があれこれ印を切る所作もよく見えるが、時折、法衣の袖で印を結ぶ手を隠すような仕草が。あれはやはり密教独特の作法なのだろうか。近くで見ると細かい事がなかなか面白い。

弘法大師は念力で護摩の火を発火させたという伝説があるそうだが、普通はどうやるのだろう。まさか100円ライターではあるまい。興味深く注目していると、護摩木を組んだ後、横にあった灯篭の火を小さな木に移してあっさりそれで着火。なるほど。ま、確かに念力で火がついたら大変だよな。

護摩壇前の導師がお経を上げながら護摩札を火にかざすのだが、近くで見ると本当に焦げんばかりに大胆にお札を火にかざしているのが分かる。こういうのを見るとなかなか霊験あらたかに見えてくるから不思議。

「護摩」とはサンスクリット語「ホーマー」の音訳。火を焚いて祈る儀式のことらしい。旧約聖書には「これは火祭であって、主にささげる香ばしいかおりである」とある。あるいはペルシャから中国に渡り景教と呼ばれた拝火教、ゾロアスター。人間は遥か昔から火を焚いて、様々な神や仏に祈りを捧げた。湧き上がる火柱と火の粉は人間に根源的な畏敬の念を与え、生命あるかのように揺れ動く炎を見つめていると魂が吸い取られて行くかのようだ。

お参りを終え、お屠蘇を頂いて、参道にある居酒屋でいつも通り厄落としの宴会。となりの集団の大騒ぎにつられてこちらも騒いでいるうちに、軽く一杯のつもりが2杯、3杯と樽酒が進み、結構酩酊して帰宅。

3日の夜から風邪気味でちょっと調子悪し。昨夜は熱が出たのか、とんでもない悪夢を見て夜中に目覚める。その後も眠り浅し。昨日は厄払したのか厄を持ちかえったのかよくわからんな。本日も調子はイマイチ。早めに帰宅。