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2005/12/18 「ゴッホの遺言」と、ひろしま美術館の「ドービニの庭」

今週、木曜には、ひろしま美術館まで、ゴッホの「ドービニの庭」を見に行った。この絵は、以前、「ゴッホの遺言〜贋作に隠された自殺の真相〜」(小林英樹/情報センター出版局)を読んでから、いつかどうしても見たいなと思っていたもの。

この本は、画家である著者が、ゴッホのものだというオランダ国立ゴッホ美術館所蔵の有名な絵のスケッチに疑問を抱くところから始まる。そのスケッチが偽作であることを証明し、なぜそのような偽作が作られたか、そしてなぜ誰もその偽作を疑わなかったかという「謎」からゴッホの死の理由に迫る論証が前半部分。そして著者がこの本の後半で考察するのは、ゴッホは精神錯乱で自殺したという通説への反論。出さなかったものを含め2バージョン存在するゴッホの遺書の検討。そして残った書簡、残っていない書簡の分析。ひろしま美術館所蔵の「ドービニの庭」は、ゴッホが拳銃自殺する直前、静かな澄み切った気持ちで描いた絵であり、ゴッホは死に臨んで決して錯乱していなかったのだと。続編も出ているのだが、実に面白い本。


「ゴッホの遺言」の感想を書いた過去日記では、この絵について、こう書いた。

しかし、ひろしま美術館所蔵の「ドービニの庭」には、死を覚悟した後にたどりついたゴッホの心境が描かれているのだと著者は言う。人生の最後に到達した、澄みきった諦観と残されるものへの穏やかなメッセージをその絵に読み取れるのだと。この本の口絵にあるその絵には、初夏の風の中に明るく光る、澄みきった静寂な風景が描かれている。
平日ひろしま美術館は、ほとんど人気がなく閑散としている。大作はさほどないとはいえ、印象派以降のフランス絵画の佳作を丹念にそろえた静かな美術館。「ドービニの庭」は、第2展示室を入った正面辺りに掲げられている。長い間その前で立ち尽くして眺めていた。

確かに、澄み切ったこの空の明るさはどうだ。燃え上がるような糸杉やら、麦畑の上を飛ぶ鴉やらの後ろに描かれた、ある意味禍々しく、妖しくも眩暈がするようなゴッホ独特の空はここには無い。ただ平穏に淡々と明るい色彩で描かれた遠い空。

「ゴッホの遺言」には、もうひとつ興味深い考察がある。この「ドービニの庭」の別バーションがスイス、バーゼル美術館に存在する。こちらの絵は暗く沈んだ色彩。空も澄み切った色ではない。そして画面左下には黒猫が描かれている。しかし、ひろしま美術館蔵のバージョンには猫の姿は描かれていないのだ。

どちらのバージョンにも最初は黒猫が描かれていたが、20世紀初頭に誰から「ひろしまバージョン」の絵の黒猫を消したのだという説が存在する。「ゴッホの遺言」の著者は、「ひろしまバージョン」を丹念に観察し、この絵には最初からゴッホが黒猫を描いてないと結論する。野外で描いた「バーゼル版」では自らを仮託して描いた不吉な黒猫。しかし、死を覚悟して澄み切った心境でアトリエで描きなおした「ひろしま版」では、ゴッホが自ら黒猫を消したのだと。

油絵の黒猫があったかもしれない部分を丹念に見ても、果たしてそこに最初に何が描かれていたのかを判別することは私にはできない。しかし、もしもこの絵が本当にゴッホ最後の絵だとしたら、ここからは確かに澄み切った諦観と穏やかなメッセージしか読み取れず、どこにも錯乱の痕跡などないのであった。