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2006/06/26 諸手を挙げて死刑を推奨するわけではないが

植木師匠から、ゲット報告あり。1のゾロ目が近いのはちょっと前に気づいていたのだけど、もう通り過ぎてしまったとは。今度は、1,234,567かな。これが来たら結構凄いなあ。



今週号の週刊新潮に、光市母子殺害事件遺族の本村氏の特別手記。検察の上告に対して、無期懲役との原判決を破棄、高裁への差し戻し審を命じた最高裁判決がこの6月20日に出たばかり。この手記には、残虐な犯人への怒りと、裁判妨害に近いことまでして、なんとしても死刑判決を逃れさせようとする、いわゆる「人権派」弁護士の姿勢への疑問が満ちている。

最高裁判決では、量刑不当は上告理由には当たらないとしながらも、弁護側の主張する事実は根拠がないとして却下。減刑の酌量に値する特段の事情もなく、犯人の反省についても十分ではないとしている。死刑という「自判」はしないまでも、実質的に「死刑相当」との考えを示した上で原判決を破棄・差し戻したもので、遺族の無念はいくぶんかでも晴れたのではないか。

日経新聞に掲載された判決要旨では(あまりの残虐さからか)カットされているのだが、裁判所のWebに掲載された判例原文では、この被告の凄まじい犯行が事実認定されている。

被告は、強姦目的で事前に家を物色し、検査員を装って被害者の部屋に入った。強姦に抵抗されたために被害者を殺し、蘇生しないよう口にテープを張り、生後11ヶ月の娘がしがみついて泣いている死体を強姦した。そして子供の声がうるさいと床に叩きつけ、なおも泣きながら母親の遺体に這いよろうとする幼児の首に事前に用意した紐を巻いて殺したのだ。これを鬼畜の所業と言わないなら何をそう呼べばよいのだろうか。

そして逮捕後にも、「遺族は調子こいとる」、「私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君」など反省のカケラもない文通を知人と行っていたのは公判の過程でも明らかになった通り。世の中には、極刑をもってしか償えない罪と、極刑をもって民の内から絶たれなければならない鬼畜がいる。そして、この犯人とその所業はまさしく両者に当てはまる。遺族である夫は、この犯人が仮出獄するなら、自分の手で必ず殺すと発言して話題となった。近代法ではもちろん禁止されている復讐ではあるが、この犯人は殺されても文句の言えない人間のクズである。

死刑の是非については、06年1月18日01年6月11日の日記などで何度か書いた。諸手を挙げて死刑を推奨するわけではないが、終身刑が無い日本では、鬼畜を社会から隔離するにはその選択しかない。「どんな人間でも真人間になれる」という底抜けに明るい人間性への信頼は、あまりにもnaiveすぎる。「人権派」弁護士は、仮出獄後の犯罪に責任を持たない。矯正しようのない鬼畜を野放しにするコストを、自らが信じる「正義」のために社会に押し付けられては困るのだ。

もっとも、ウィキペディア(Wikipedia)によると、無期懲役の仮出獄までの期間は、昨今の厳罰化の風潮に伴い、年々長くなっているそうだ。昨年度は受刑者の仮釈放は1名しか認められておらず、現在の無期懲役は実質終身刑だという説も読んだ。

しかし、お役人の運用で仮出獄までの期間を長くしたから「実質的終身刑」だと言われても、納得する訳にはゆかない。そもそも運用で刑期が長くなるのなら、世論の風向きが変われば、逆に短くもなるだろう。運用というのはそういうものだ。そもそも、お役人の運用で懲役の期間が変わり、ひょっとすると終身だというのは、罪刑法定主義の理念にも反するのでは。きちんと法定の罪として「仮出獄無しの終身刑」が制定されるのなら、死刑廃止は議論の俎上に載せてもしかるべき選択になるとは思うのだが。それにしても、この犯人が差し戻し審でも無期懲役になり、仮出獄の可能性が残るなら、たまったものではないという気がする。