「国旗・国歌の強制は違憲」との東京地裁判決。確かに東京都教育委員会が決めた教職員への強制は、思想・信条の自由との関係でゆくと、まあ、行き過ぎと判定されても不思議ではない。 思い出したのは2年前、園遊会に招かれた将棋の米長元名人が、「日本中の学校で国旗掲揚・国歌斉唱が行われるようにするのが私の仕事」と述べたところ、天皇陛下が、「強制になるということでないことが望ましいですね」と述べた件。米長元名人は東京都教育委員なのであるが、天皇陛下も政府見解に沿って「強制しないほうが」と述べてるのに、東京都教育委員会が教師に強制しては、やはりいかんだろうな。 もっとも、まったく逆のことを言い出すようではあるが、国歌を歌わない、国旗掲揚に起立しない教師が大勢いる事態を好ましいと思っている訳でもない。世界どこを探しても、自国の国旗に背を向ける教師が大勢いる国など、日本以外にあるまい。戦後はびこった、いわゆる「自虐史観」に深くとらわれた人々が教職にはずいぶん残っている。 教師への強制もおかしいが、自分の生まれた国を唾棄すべきものだと生徒に教え説き、国旗を路傍に打ち捨て、国歌に耳をふさぐことを教える教師がいるのも相当におかしい。自分の国の国旗や国歌に敬意を持って接することができないのなら、他国のそれに対して敬意をはらえるはずもない。自分の国に愛着や誇りを持てない人間は、本当の意味で他所の国に敬意を持って接することはできないし、他所の国から尊敬されることもないだろう。そんな人間が教師として生徒にいったい何を教え、どこへ導き、何をしようというのだろうか。 「国旗を掲揚したら軍国主義が復活する」、「国歌や国旗には侵略戦争の忌まわしい記憶がまつわりついている」。外国から日本を見ると、そんな風に眼を三角にする世界観が、実に矮小で偏狭に思えてしかたない。もちろん、日本の過去をすべてそのまま肯定、礼賛するつもりなどサラサラないのだが。 |