大相撲の横綱審議委員会で、委員全員が、九州場所で全勝優勝した朝青龍のけたぐりについて、「やるべきでない。品格にかける」と小言をいったという報道。内館牧子委員に至っては「けたぐりという言葉自体、品がない」、朝青龍が制限時間を迎えた時まわしをたたく所作に「横綱がみっともない」とも述べたとか。 確かに、けたぐりというのは、小兵力士が、力負けする大型力士に対してしかける「奇襲」という印象。ただ、この技を食うのは、どちらかというと鈍重な力士だ。高見山や小錦なんか、足腰衰えた晩年にはよく食らって、土俵叩いて悔しがってたよなあ。しかし、今回食らったのは若手伸び盛りの稀勢の里。この技が空振りしたら形勢逆転で、本来は朝青龍が負けてもおかしくない。やったほうが非難される技というより、本来は食らったほうがウカツというか、元気者がそんなもの食らうなよ、何やっとるのかという話だと思うがなあ。 まして、「けたぐり」という言葉が、とか、まわしを叩く所作がうんぬんという内館委員の発言については、ピントの外れたためにする批判としか思えない。 ま、別に今回に限らず、朝青龍には、「懸賞金受け取るのが左手だ」という非難があったこともあるし、横綱審議会はまるで小姑のごとく、その一挙手一投足に文句つけてるような気がする。これは、いわゆる「外国人いじめ」ではないのか。子供の「いじめ」はダメだが、外国人はいじめてよいのか。どうも日本の狭量な排他性が現れているという気がしてしかたない。 例えば、大リーグで活躍するイチローは、英語ではいまだにほとんどコミュニケーションできないようだし、アメリカの風俗、習慣など現地に完全に溶け込んでる訳でもないだろう。しかし、彼が安打数の大リーグ記録を更新した時、アメリカ的でないと、そんなことが問題にされただろうか。いや、勿論、本音では歓迎してない連中もいるだろう。しかし公の場でそんな批判をしでかすと、批判した者のほうが、「Open Mind で公明正大なアメリカ人である」という立場を維持できなくなってしまう。 横綱審議会の批判というのは、日本人が、日本人同士のために、日本人同士だけで、日本人村の中で好き放題な外国人批判をしているように聞こえて、あんまり気分よろしくない。外国人が聞いたら気分を悪くして当然というか、実に閉鎖的でウカツな批判という気がする。 昔の高見山は、決まって「日本人より日本人らしい」と誉められた。アメリカ人的な自己主張をした小錦は、相撲界にいる間中バッシングを受け続けた。武蔵丸は賢明にも(というかそもそもしゃべりが上手くないらしいが)沈黙を守って余計な非難を招き寄せなかったように思える。 大相撲から外国人力士は全て排除して、日本人だけで今後はやったほうがよいというのが横綱審議会の本音なのだとしたら、それはどうぞご随意にということではあるのだが。おそらくそれは今にもまして衰亡の道だと思うが。 |